2021年11月21日
北方ジャーナル12月号の誌面から 北海道フォトエッセイ「太陽の丘えんがる公園に広がる 虹のひろばコスモス園」
太陽の丘えんがる公園のコスモス園(9月16日撮影:白井暢明)
冬の足音が迫っている北海道だが、今月号の北海道フォトエッセイで筆者の白井氏は、あえて9月中旬に訪れた「太陽の丘えんがる公園」(オホーツク管内)に広がる「虹のひろば コスモス園」の姿を寄せてくれた。モノトーンの世界になる前の北海道を惜しむ気持ちが伝わってくるようだ。(く)
宇宙を象徴する花、コスモス
太陽の丘えんがる公園に広がる
「虹のひろば コスモス園」
9月中旬の晴れた日、遠軽までドライブした。
町の見張り台「瞰望岩」の裏側を昇っていくと「太陽の丘えんがる公園」に入る。そこに、この町の秋の観光の目玉、コスモス園がある。園内に入ると、想像を遙かに超える広大な空間をピンク色主体のコスモスの花が覆いつくしている。その華麗な世界に息を飲む。
「コスモス」の語源は、ギリシャ語の「宇宙」を意味する言葉。つまり「コスモス」とは秩序をもつ完結した世界としての宇宙の事であり、「カオス」(混沌)の対義語だ。中南米原産のコスモスを見たスペイン出身の聖職者が、その花びらの整然とした並び、バランスの良さから、この名前をつけたらしい。コスモスこそまさに“宇宙のシンボル”なのだ。
コスモス園はミツバチにとっての楽園でもあるようだ。多くの花びらにハチが留まり、中心部の黄色い雄しべから一心に蜜を吸っている。
このハチたちを強く惹きつけているものは何か? この花の蜜の匂い? それとも美しい色? 恐らくはその両方であろう。しかし、私たち人間を惹きつけるものは色彩の美しさだ。
そもそも、花というものはなぜこれほど美しいのか? 花の美しさとは、受粉の媒介ために他者の目を惹くという目的のためだと言われる。しかし、その「他者」とは明らかに人間ではない。
とすれば、人間をも魅了する美しさを花に与えたのはコスモスの創造者である神以外にはない。明治期にキリスト教徒移住者によって拓かれたこの町で、ふと、そんな想いが浮かんだひと時だった。
コスモスの蜜を吸うミツバチ(9月16日撮影:白井暢明)
太陽の丘えんがる公園に広がる
「虹のひろば コスモス園」
9月中旬の晴れた日、遠軽までドライブした。
町の見張り台「瞰望岩」の裏側を昇っていくと「太陽の丘えんがる公園」に入る。そこに、この町の秋の観光の目玉、コスモス園がある。園内に入ると、想像を遙かに超える広大な空間をピンク色主体のコスモスの花が覆いつくしている。その華麗な世界に息を飲む。
「コスモス」の語源は、ギリシャ語の「宇宙」を意味する言葉。つまり「コスモス」とは秩序をもつ完結した世界としての宇宙の事であり、「カオス」(混沌)の対義語だ。中南米原産のコスモスを見たスペイン出身の聖職者が、その花びらの整然とした並び、バランスの良さから、この名前をつけたらしい。コスモスこそまさに“宇宙のシンボル”なのだ。
コスモス園はミツバチにとっての楽園でもあるようだ。多くの花びらにハチが留まり、中心部の黄色い雄しべから一心に蜜を吸っている。
このハチたちを強く惹きつけているものは何か? この花の蜜の匂い? それとも美しい色? 恐らくはその両方であろう。しかし、私たち人間を惹きつけるものは色彩の美しさだ。
そもそも、花というものはなぜこれほど美しいのか? 花の美しさとは、受粉の媒介ために他者の目を惹くという目的のためだと言われる。しかし、その「他者」とは明らかに人間ではない。
とすれば、人間をも魅了する美しさを花に与えたのはコスモスの創造者である神以外にはない。明治期にキリスト教徒移住者によって拓かれたこの町で、ふと、そんな想いが浮かんだひと時だった。
コスモスの蜜を吸うミツバチ(9月16日撮影:白井暢明)
Posted by 北方ジャーナル at 23:33│Comments(0)
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