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2021年04月22日

本誌短期連載「台湾防疫日記」特別公開④ 異色の映画監督がコロナ禍の台湾で見たこと、聞いたこと

本誌短期連載「台湾防疫日記」特別公開④ 異色の映画監督がコロナ禍の台湾で見たこと、聞いたこと
初詣で賑わう廟では消毒おじさんがひとりで奮闘していた

 くつした企画による「台湾防疫日記」特別公開第4弾をお届けする。本日アップしたのは現在発売中の本誌5月号に掲載した「後編」の後半である。無節操制作団体との誉れが高い彼らを代表する黒田拓監督が、あろうことかこのコロナ禍の中、やんごとなき理由で台湾に渡航することになった。昨年の暮れ、渡航制限が敷かれている中、苦労の末に黒田監督は台湾に渡り、厳しい(?)隔離生活を送ってから晴れて自由の身になるのだが──。(く)

本誌短期連載「台湾防疫日記」特別公開④ 異色の映画監督がコロナ禍の台湾で見たこと、聞いたこと
冒頭写真の廟の全景

1月週末
 食堂で供する1週間分の食材を買い出す。この大仕事をお手伝いするべく、川向こうの『三重力行菜市場』に同行する。マスクの着用が原則となっていることただ1点のみを除けば、市場の様子は以前とほぼ変わらない。迷路のように縦横に並ぶ店の隙間を埋め尽くす人々の密度の濃さも、スクーターが無理やり人を縫って走るさまも、全て同じだ。

 そして大家さんたるお母様が買う量が尋常ではない。大人でも一抱えほどある巨大キャベツを10個12個とどんどん袋に詰めていくし、漬物だって詰まれた山を丸ごと掻っ攫う勢いだ。そんなわけだから買出し中はまったく余裕がない。だからこれはあとで気づいたことだけれども、マスク着用率は地域によって差があるようだ。台北の中心部にいくほど着用率が上がる。こちらの市場での着用率は8割弱といった感じだった。ただしこれはあくまで客の話であって、売り手側にあっては着用率は9割超を誇る。

 以前から特徴的だと感じるのは、この台湾の人々の生真面目さだ。市場はもちろん、コンビニをはじめとした店舗はマスク着用が原則。特に公共交通機関を利用する際には必須で、違反者は罰金を伴う。もちろん感染者がほとんど存在しないという国内実績があってのことなのだろうが、それでも人々はマスク着用への罰則ルールにも、感染者の個人情報の徹底した開示にも(少なくとも抗議活動をするような程度の表立った)異を唱えることはない。

 律儀、穿った言い方をすれば従順。そんな印象を抱いたのが正直な所だった

 ここで少々わき道にそれると、こういった態度には、世界でも抜きん出た防疫実績だとか、未解決のままのWHO加盟問題だとか、それを背景とした国家意識と防疫との直接的な結びつきだとか、そういったさまざまな理由が絡んでもいるのだろうが、こういう方面にご関心がおありの方はよりそういうことに詳しい各種媒体を参照されたい。本連載は、人々や文化の気質といった側面に焦点を当てて進めさせていただく。だって、声高にそういったお話ができるほど知見がないんですもの。

2月初日
 一般的な旅行を理由とした渡航が禁止されている今、観光地はどう変わったのだろうか。
 まずは東門町に向かう。日本統治時代の建物が多く残り、それらをリノベーションしたギャラリーやカフェが日本人に人気の『青田街』を擁する一帯だ。地下鉄を降りて、観光客相手の店が立ち並ぶ永康街を歩く。当然海外からの観光客の姿はないが、驚くほど人がいないか、というとそうでもない。客家料理や台湾料理の名店や気軽な買い食いスポットなど、地元の方々をひきつける店がいくつか軒を並べているせいもあるのかもしれない。歩く人々はほとんどが初めて訪れた様子ではなく、そぞろ歩く姿もこなれているように感じられる。

 そのせいか、店によってお客さんの入りがはっきりと分かれている。日本語や韓国語の文字が踊る海外向けお土産店にはほとんど人がいないし、外国人客を当て込んでいたらしい高級志向の店のいくつかには『店舗売ります』の札がかかっていた。

 そしてこれはコロナを巡る情勢とはまた違う話になるけれども、もうひとつの大きな変化も目に付いた。香港式の軽食喫茶である『茶餐廳』が増えたことだ。昨今の香港情勢を受け、香港人が台湾に移り住み始めていると聞いていたが、その影響なのかもしれない。話によると台湾西中部の都市、台中市には香港からの船便があるらしく、かの地域は今やリトル香港といえるほど香港からの移住者が多いそうだ。

 次に向かったのは迪化街。かつて交易の中枢だったこの河口沿いの地域も近年リノベーションが進められ、日本でいう『古民家○○』系のお土産屋さんが軒を並べる観光地ではあるけれども、そもそもがさまざまな食材を扱う問屋街である性格上、盛大に祝われる旧正月の準備に追われる人々でにぎわう地に足のついた盛況ぶりだった。

本誌短期連載「台湾防疫日記」特別公開④ 異色の映画監督がコロナ禍の台湾で見たこと、聞いたこと
本誌短期連載「台湾防疫日記」特別公開④ 異色の映画監督がコロナ禍の台湾で見たこと、聞いたこと
台北随一の有名観光夜市「士林夜市」の様子(上下)。十分に歩ける空間があり、子供たちがスマートボールや的当てを楽しんでいた

 そしてこちらでは、永康街に比べると観光客風の方々が多く見られた。聞けば台湾南部からやってきた方々とのこと。これは、海外観光客へのアッピールに主軸を置いている永康街との差なのかもしれない。どちらの観光地でも共通するのは、聞こえてくる言葉の響きの違いだ。歩いていても、中国大陸式の発音はほぼ100パーセント聞こえてこない。そして、老人介護やヘルパーの貴重な担い手であるインドネシアやベトナムの方々、いわゆる『新移民』の言葉は聞こえてくるが、それ以外の外国語もとんと聞かれない。

 帰りにお茶屋さんで安いパック入りのお茶を買ったら、会計のおじさんが笑いながら言った。
「外国人訛りの台湾華語、久しぶりに聞いたよ」

2月春節
 下宿先で火鍋をご馳走になり、部屋に戻ると夜半過ぎになって外で盛大に音楽が奏でられ始めた。すぐ近くの廟、先嗇宮でセレモニーが始まったらしい。靴を突っ掛けて見に行くと、派手なLED電飾に飾り立てられた伝統的な打楽器をおじいさんたちが叩き鳴らす中、人々が初詣に列をなしているところだった。列はなかなか進まず、どんどん長くなるばかり。よく見てみると廟の入口でたったひとりのおじさんが参拝客ひとりひとりの手に消毒液を吹きかけて回っていた。さらにその姿を目当てに集まってきたYouTuberらしき人々が映像を撮影する。今の台湾をよくあらわしているようなお正月だった。

2月某日
 Ericは10年来の友人だ。楽天的で快活な性格なのに思慮深く、話をしていてとても楽しい。1年ぶりに会った彼が口にしたのは、
「実は去年、突然信仰に目覚めたんだ」
 という、随分と唐突な話題だった。

「もともと宗教や信心なんかにはまったく興味がなかったんだけど」
 うん。それはよく知ってる。
「でも去年、急に神の存在を意識するようになってね」
 じゃあ、廟に行くようになった?
「子どもの頃から思ってたんだけど、あれは僕の感覚に合わないんだよね。きらびやかで派手だし、音楽もうるさいし。皆が必要なときだけお願い事をしにいく姿勢も、どうも胡散臭い」
 だったらどこに行ってるの。
「少し前にキリスト教の教会に誘われて、初めて行ってみたんだけど、いいね、教会。廟なんかよりずっと神の存在を感じさせてくれる」

 それぞれの宗教施設の差異は、つまるところ演出プランの違いだ。台湾の廟は、道教の神を基軸にさまざまな神が集まる『豊かさ』を軸として演出されているが、キリスト教の教会はその逆、人が一個の存在としてひとつの神性に相対するためのさまざまな演出が施されている。
 Ericにとっては、キリスト教の教会の演出のほうが性に合っている、ということだよね?
「うん。そう。肌に合ってる」

 しかし彼が教会に行って相対するのは、どうも件の宗教が推している神ではないらしい。
「でもキリスト教を信じてるわけじゃないんだ」
 Ericはあっさりと告白した。
「聖書も読んでみたんだけど『一般道徳』以上のことは学べなかったかな」
 実際、彼は今インド哲学に傾倒し始めているのだという。インド哲学を愛する台湾人が日曜ごとにキリスト教の教会に行き、自身を超越した何かを感じる。それは何者だ?
 たずねると、Ericは頭の中の言葉を探るようにして話しはじめた。
「正月明けに玉山に登ったんだけど、そこで見た日の出の感じに近いかな」

 玉山とは台湾の中心部にそびえる最も標高の高い山だ。彼のいう信仰とは特定の宗教に属するものではなく、もっとプリミティブな『自分を超えた何かを感じ取る体験』を意味しているらしい。Ericにとって、その感覚を味わうに最適な場所が、たまたまキリスト教の教会だった、というわけだ。

 こんがり焼いた鶏もも肉を右手で掴んでもりもり食べながら左手で木魚を叩くような罰当たりと捉える向きもあろうが、自分はこれこそが台湾の人々の気質なのではないか、と感じた。つまり、自らの好みや目的に向き合い、必要な要素だけをさまざまなものから自在に選び取るという姿勢だ。そして彼の話を聞くうちに、自分が台湾人のコロナ対策に抱いていた印象は誤解だったのかもしれない、と思いなおすに至った。

 台湾の人々は人情に厚い反面、ドライな所がある。例えばひとつのプロジェクトを進めているときに、びっくりするほどあっさりと今まで持っていた方針や方法論を切り捨てることがしばしばあるからだ。
 
 ひとまず試してみるが、そのやり方がうまく行かないと分かれば即座に今の手を捨てて他のやり方を考える。そういう姿勢を強く感じる。これはもっと一般的な、人間関係の切り結び方にも当てはまる気がする。台湾の人々は面子を重んじる。だから何か過ちを犯した際には、個人の責任を問いただして恥をかかせるのではなく、今ある問題を改善するための次の一手を考えることを優先する。

 さまざまな出自を持った人々が集まって、価値の交換をしあうことで生活基盤を築いてきた文化ならではの姿勢ではないだろうか。このあたりには、前述の家の構造の違いと同じく、日本との文化背景の違いを感じる。変わる事を恐れない、あるいは厭わないのではなく、はじめから固持するものを持たない。そんなイメージだ。こう考えると、今の罰則を伴うコロナ対策は、台湾の人々にとって『とりあえずの一手』に過ぎないのかもしれない。ひとまず試してみて、役に立たないと判断したら切り捨てて次の手を考える。そういう前提があるからこそ、まずは律儀に守ってみる。そういうスタンスだ。

『とりあえず』の国。この島に住む人々の根源的なドライさが、世界でもまれに見るほどの防疫実績を生み出したのかもしれない。 (了)




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