2021年11月10日
特別掲載 くつした企画没ネタ供養シリーズ第3回 「解き明かされたレシピ。台湾先住民族風 謎の肉鍋」(後編)
「とあるインドネシア系市場で発見した謎の魚です。添えてある文字が読めなかったのでどうやって食べるのか聞いたら『汁麺にする』と言われましたが、未だにイメージができません」(黒田監督)
自称“無節操制作団体”、くつした企画による没ネタ供養シリーズ第3回をお届けする。題して「解き明かされたレシピ。台湾先住民族風 謎の肉鍋」。それは、くつした企画の黒田拓監督が台湾東部に暮らす先住民族の神話などを取材するため彼らの集落に逗留していた時に遭遇した一品であった。その後編をお届けしよう──。
いや、肉というのは語弊があるかもしれない。浮かんでは消えていく黒いものたちの姿かたちはあまりにも多彩だ。球間接の飛び出た塊、蹄が切り落とされたような足先、そしてただ黒い皮身の断片。それらが浮かび上がってくる頻度からして相当量が鍋の中にはひしめいているらしいのだけれども、白濁した汁のせいで底が知れないため、何がどれだけ入っているのかすらも判別できない。
何の鍋なんだろう。なんとか判別しようと愛想笑いを振りまきながら鼻を蠢かしてみたけれど、不思議なことにその湯気をいくら吸い込んでみても、においがまったくしない。何だ。この煮込まれているやつは。全身から汗が噴出してきたが、今にして思えば、あれは湯気に当てられたせいだけでは決してないだろう。
「おいしそうですね。何の鍋ですか?」
未熟な言語力にしては、自然に訊けた方だと思う。
「肉だ」
赤銅色の肌をした、エキゾチックな顔立ちの老人がにやりと笑って言った。
「肉ですか」
取り付く島が全くない。
「どんな動物ですか?」
「角が1対ある」
「いや、角は無かったよ」
「今朝うちのやつが捕ってきた」
「こっちの山では捕れない」
「あっちの山にはたくさんいる」
とたんに鍋を囲んだ老人たちがわいわい話しはじめた。今朝捕られた、あっちのほうの山にたくさんいる、角があるのかないのかははっきりしない動物の肉。結局得られた情報はそれだけだった。
家主らしき老人が、その黒い塊を汁と共によそって渡してくれた。どんな野性味溢れる味がするのだろうか。未知の食べ物を前に少し興奮しながら汁をすすってみた。
味がまるでない。塩味が殆どないのはこの国ではよくあることだとして、香りもコクも殆ど感じられない。ただしわずかに野性味のあるジビエの香りがする。とはいっても、濃い霧の向こうでエゾシカあたりがにっこり笑ってこちらに手を振っている、その程度のものだ。正直に言えばがっかりだった。しかし、汁をすすった後にミントと山椒をあわせたような爽やかな植物性の香りが口に残った。
「この香辛料は何ですか?」
聞いてみると、実山椒の粒を一回り大きくしたようなひと房の木の実を見せてくれた。『山胡椒』と呼ばれているもので、肉や魚の臭みを消すのに使うのだという。続いてお箸で汁の中からつまみあげた肉片は謎の動物の鼻先の部分で、黒いゼラチン質の塊だった。口に入れると歯が入らないほど硬い。消しゴムを齧っているような気分だ。しかもその消しゴムの表面には処理し切れていない毛が生えており、硬くてちくちくする。朝起き抜けのおじさんを捕まえてきて、刻んで軽く煮込んだらきっとこんな感じだろう。
結局酒盛りの騒がしさにまぎれて噛み切れない謎の動物の鼻先をこっそり地面に転がし、期待はずれのお上品な汁だけすすってその場をやり過ごしたのだった。
以来あの動物はずっと謎のままだったのだが、2021年の春、台北で暮らしているときにふとその話題を口にしたところ、「それ、キョンなんじゃない?」という話になった。調べてみると、なるほど確かに、かの動物はあの時かじりついた鼻先と同じ形をしている気がする。
加えて『山胡椒』と呼ばれていた香辛料も、今では『馬告』という名前で乾燥したものが日本でも流通しているということを知った。鼻先が噛み切れず、スープに特徴が感じられなかったのは煮込み時間が足りなかったのだと考えれば説明もつく。
かくして2つの謎の材料が一気に特定され、再現不能レシピは再現可能となった。秘密のとばりが打ち払われてまたひとつ(個人的な)神秘が明らかになったわけだが、ちょっぴり残念な気持ちも今となってはしている。
<台湾先住民風キョンの煮込み>
材料
野生のキョン 1頭
馬告 ひとにぎり
水 ひたひた程度
作り方
・山に分け入って野生のキョンを狩る(狩猟の可否については各地域の法に照らしてください)
・キョンの血抜きをし、皮と内臓とひづめとを取り去って一口大に切る
・鍋に沸騰させたお湯に肉を入れてひと煮立ちさせたらお湯を捨て、ぶつ切りのキョン肉を水で洗う
・鍋に新たに水を張り、キョン肉と馬告を入れて煮込む
・好みのやわらかさになったら出来上がり(但し煮込めばやわらかくなる肉なのかは不明)
・食べるときに好きなだけ塩を振る
何の鍋なんだろう。なんとか判別しようと愛想笑いを振りまきながら鼻を蠢かしてみたけれど、不思議なことにその湯気をいくら吸い込んでみても、においがまったくしない。何だ。この煮込まれているやつは。全身から汗が噴出してきたが、今にして思えば、あれは湯気に当てられたせいだけでは決してないだろう。
「おいしそうですね。何の鍋ですか?」
未熟な言語力にしては、自然に訊けた方だと思う。
「肉だ」
赤銅色の肌をした、エキゾチックな顔立ちの老人がにやりと笑って言った。
「肉ですか」
取り付く島が全くない。
「どんな動物ですか?」
「角が1対ある」
「いや、角は無かったよ」
「今朝うちのやつが捕ってきた」
「こっちの山では捕れない」
「あっちの山にはたくさんいる」
とたんに鍋を囲んだ老人たちがわいわい話しはじめた。今朝捕られた、あっちのほうの山にたくさんいる、角があるのかないのかははっきりしない動物の肉。結局得られた情報はそれだけだった。
家主らしき老人が、その黒い塊を汁と共によそって渡してくれた。どんな野性味溢れる味がするのだろうか。未知の食べ物を前に少し興奮しながら汁をすすってみた。
味がまるでない。塩味が殆どないのはこの国ではよくあることだとして、香りもコクも殆ど感じられない。ただしわずかに野性味のあるジビエの香りがする。とはいっても、濃い霧の向こうでエゾシカあたりがにっこり笑ってこちらに手を振っている、その程度のものだ。正直に言えばがっかりだった。しかし、汁をすすった後にミントと山椒をあわせたような爽やかな植物性の香りが口に残った。
「この香辛料は何ですか?」
聞いてみると、実山椒の粒を一回り大きくしたようなひと房の木の実を見せてくれた。『山胡椒』と呼ばれているもので、肉や魚の臭みを消すのに使うのだという。続いてお箸で汁の中からつまみあげた肉片は謎の動物の鼻先の部分で、黒いゼラチン質の塊だった。口に入れると歯が入らないほど硬い。消しゴムを齧っているような気分だ。しかもその消しゴムの表面には処理し切れていない毛が生えており、硬くてちくちくする。朝起き抜けのおじさんを捕まえてきて、刻んで軽く煮込んだらきっとこんな感じだろう。
結局酒盛りの騒がしさにまぎれて噛み切れない謎の動物の鼻先をこっそり地面に転がし、期待はずれのお上品な汁だけすすってその場をやり過ごしたのだった。
以来あの動物はずっと謎のままだったのだが、2021年の春、台北で暮らしているときにふとその話題を口にしたところ、「それ、キョンなんじゃない?」という話になった。調べてみると、なるほど確かに、かの動物はあの時かじりついた鼻先と同じ形をしている気がする。
加えて『山胡椒』と呼ばれていた香辛料も、今では『馬告』という名前で乾燥したものが日本でも流通しているということを知った。鼻先が噛み切れず、スープに特徴が感じられなかったのは煮込み時間が足りなかったのだと考えれば説明もつく。
かくして2つの謎の材料が一気に特定され、再現不能レシピは再現可能となった。秘密のとばりが打ち払われてまたひとつ(個人的な)神秘が明らかになったわけだが、ちょっぴり残念な気持ちも今となってはしている。
<台湾先住民風キョンの煮込み>
材料
野生のキョン 1頭
馬告 ひとにぎり
水 ひたひた程度
作り方
・山に分け入って野生のキョンを狩る(狩猟の可否については各地域の法に照らしてください)
・キョンの血抜きをし、皮と内臓とひづめとを取り去って一口大に切る
・鍋に沸騰させたお湯に肉を入れてひと煮立ちさせたらお湯を捨て、ぶつ切りのキョン肉を水で洗う
・鍋に新たに水を張り、キョン肉と馬告を入れて煮込む
・好みのやわらかさになったら出来上がり(但し煮込めばやわらかくなる肉なのかは不明)
・食べるときに好きなだけ塩を振る
Posted by 北方ジャーナル at 10:53│Comments(0)
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