2021年02月21日
旭川医大の吉田学長にアドバイザー料6920万円を払った滝川市立病院に訊く② ───「大学との関係を大事にしたかった」

市役所に隣接している滝川市立病院(左)
滝川市立病院(314床)への取材報告の続きをお届けする。対応したのは事務部の幹部2人(部長と次長)である。病院側の説明では医師全体約40人のうち、旭川医大出身(常勤・派遣)が松橋浩伸院長を含めて6名、そのほかが札幌医科大、北大医学部で占められているという。
──2006年7月に旭川医大と正式に契約を結んだということだったが、どういう経緯でそういうことになったのか。これまでの取材で地元経済人が仲介したことが浮かんでいる。
「吉田学長が大学のホームページで釈明した中でも、そういうことが書かれていたが、記録がなく詳しいことは分からない。ただ当時は病院の建て替え話が出ていたこともあり、そういうことがあったとしても不思議ではないと思う」
──あらためて契約内容を確認したい。
「当時、吉田学長はまだ眼科学講座の教授(07年に学長就任)という立場だったが、医療情報アドバイザーとして毎月交通費込みの40万円を報酬として支払うというものだ。内容は診療業務と経営に関するアドバイスをしてもらうものだが、実務のうえの具体的な取り決めはない。年度末にこちらから学長政策推進室に連絡し、これまで契約を続けてきた」
──その役目は、眼科のドクターにそぐわない印象があるが。
「吉田学長は遠隔医療の専門家で、総務省が所管する審議会などにも参画しており、適任という判断があったのではないか」
──契約締結後、これまで吉田学長が滝川市立病院を訪れたのは何回か。
「記録として確認できるのは2006年7月、2011年2月、2020年3月の3回だ。このほか、こちらから院長が旭川医大に出向き、吉田学長に面会することも年1回以上はあり、学長本人が院長に電話してくることもあったと聞いている。直近の来訪である昨年3月では、中空知における医療構想について旭川医大としての考え方を伝えていたようだ」
──14年間の中で自ら足を運んだのは3回で、接触も年1回程度。払う側として勤務実態や対価という点で疑問に思ったことはないのか。
「常に相談できる体制にしておくことの価値というふうに考えていた。旭川医大との関係を大事にしたい。そういう意味での支出かと。契約していれば院長も先方に行きやすいという判断もあった」
──契約期間中、旭川医大の教授が「何もしていないのであれば、もう打ち切ってもいいのではないか」とそちらに打診したこともあったと聞いている。
「そういう話は承知していない」
──契約が終了した経緯や理由は。
「今年の1月頭、大学からコロナ禍などでアドバイザー業務を続けていくことが実質的に難しくなり、ついては契約を終了したいとの連絡があった。12月分を1月10日に払うことになっていたが、それも払わなくてもいいと。したがって実際には昨年11月末で契約が切れた形になっている」
※
このような中で吉田学長に払われた総額が6920万円だったということだ。問題のひとつは、この金額に14年間における彼の働きが相応しいものだったのかどうかだ。一昨年、吉田学長は、兼業届を出さず権威を笠に「やらずぼったくり」で市中病院からカネを巻き上げていた麻酔科教授を懲戒解雇している。一方、同氏は先の釈明の中で「兼業届を出し、医師派遣にも関与していない」として自らの落ち度を否定。だが吉田学長の兼業、医療情報のアドバイスが一部の期間を除き、「やらずぼったくり」でなかった証拠はどこにもない。(く)
「吉田学長が大学のホームページで釈明した中でも、そういうことが書かれていたが、記録がなく詳しいことは分からない。ただ当時は病院の建て替え話が出ていたこともあり、そういうことがあったとしても不思議ではないと思う」
──あらためて契約内容を確認したい。
「当時、吉田学長はまだ眼科学講座の教授(07年に学長就任)という立場だったが、医療情報アドバイザーとして毎月交通費込みの40万円を報酬として支払うというものだ。内容は診療業務と経営に関するアドバイスをしてもらうものだが、実務のうえの具体的な取り決めはない。年度末にこちらから学長政策推進室に連絡し、これまで契約を続けてきた」
──その役目は、眼科のドクターにそぐわない印象があるが。
「吉田学長は遠隔医療の専門家で、総務省が所管する審議会などにも参画しており、適任という判断があったのではないか」
──契約締結後、これまで吉田学長が滝川市立病院を訪れたのは何回か。
「記録として確認できるのは2006年7月、2011年2月、2020年3月の3回だ。このほか、こちらから院長が旭川医大に出向き、吉田学長に面会することも年1回以上はあり、学長本人が院長に電話してくることもあったと聞いている。直近の来訪である昨年3月では、中空知における医療構想について旭川医大としての考え方を伝えていたようだ」
──14年間の中で自ら足を運んだのは3回で、接触も年1回程度。払う側として勤務実態や対価という点で疑問に思ったことはないのか。
「常に相談できる体制にしておくことの価値というふうに考えていた。旭川医大との関係を大事にしたい。そういう意味での支出かと。契約していれば院長も先方に行きやすいという判断もあった」
──契約期間中、旭川医大の教授が「何もしていないのであれば、もう打ち切ってもいいのではないか」とそちらに打診したこともあったと聞いている。
「そういう話は承知していない」
──契約が終了した経緯や理由は。
「今年の1月頭、大学からコロナ禍などでアドバイザー業務を続けていくことが実質的に難しくなり、ついては契約を終了したいとの連絡があった。12月分を1月10日に払うことになっていたが、それも払わなくてもいいと。したがって実際には昨年11月末で契約が切れた形になっている」
※
このような中で吉田学長に払われた総額が6920万円だったということだ。問題のひとつは、この金額に14年間における彼の働きが相応しいものだったのかどうかだ。一昨年、吉田学長は、兼業届を出さず権威を笠に「やらずぼったくり」で市中病院からカネを巻き上げていた麻酔科教授を懲戒解雇している。一方、同氏は先の釈明の中で「兼業届を出し、医師派遣にも関与していない」として自らの落ち度を否定。だが吉田学長の兼業、医療情報のアドバイスが一部の期間を除き、「やらずぼったくり」でなかった証拠はどこにもない。(く)
Posted by 北方ジャーナル at 19:30│Comments(0)
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