さぽろぐ

新聞・ニュース  |札幌市東区

ログインヘルプ


 › 月刊誌「北方ジャーナル」公式ブログ › 政治経済 › 生活(医療・教育・食・イベント・お得情報) › 編集長日記 › 北方ジャーナル12月号の誌面から 「戦時下のウクライナを歩いた元朝日新聞記者が札幌で報告会」② 

2023年11月27日

北方ジャーナル12月号の誌面から 「戦時下のウクライナを歩いた元朝日新聞記者が札幌で報告会」② 

北方ジャーナル12月号の誌面から 「戦時下のウクライナを歩いた元朝日新聞記者が札幌で報告会」② 
「戦時下のウクライナ」をテーマに講演する岡野氏
(10月13日夕、さっぽろテレビ塔2階のレンタルホール)

 元朝日新聞記者でジャーナリストの岡野直(おかの・ただし)氏による「戦時下のウクライナ」報告の2回目をお届けする。

北方ジャーナル12月号の誌面から 「戦時下のウクライナを歩いた元朝日新聞記者が札幌で報告会」② 
ロシア軍の砲撃で破壊されたハルキウ市の学校(岡野氏撮影)

破壊と死の隣り合わせで
生きるウクライナの人々
 去年の3月、ブチャ事件という決定的な出来事が起きました。ロシア軍がブチャ市を占領したのは3月5日から月末まで。その間に恐らく数百人のブチャ市民がロシア軍に監禁され、暴力を受けた末に射殺された。路上には射殺された遺体の一部がそのまま放置されていました。ロシアはフェイクニュースだと主張しましたが、西側のニューヨークタイムズなどが調査報道を行ない、国連の調査でもロシアがやったことが確認されています。

 このブチャ事件の直前まで、イスタンブールなどで和平交渉が開かれました。両国の政府関係者が集まり、さまざまな案が持ち出された模様ですが、ブチャ事件が明るみになりウクライナの世論は強硬になった。これを契機に国際世論もロシアに対する非難を強め、日本を含め西側諸国はウクライナの全面支援へと動きました。

 私もキーウからブチャに行きました。北西に25キロのベッドタウンです。ブチャ事件の時に53歳の住人がリーダーとなり、住民十数人を地下壕に匿っていました。住民はかまどで煮炊きし、水は外の井戸を使っていた。外にはロシア兵が常に2人ほど立っており、許可がないと外に出ることができない。ある時、避難壕から外に出たある男性が、その場で射殺され、遺体が放置されたそうです。私が訪れた建物にはその時の弾痕と思われるものが残っていました。

 一旦、キーウに戻ってから夜行列車でハルキウに行きました。人口200万人のまちがその時は150万人くらいまで減っていた。ボランティアの女性とその息子の案内で幾つかの教育施設を見せてもらいましたが、そこには戦車などで激しく攻撃された跡があった。今でもハルキウでは全ての学校が閉鎖されており、授業はオンラインのみです。砲撃で天井に穴の空いた幼稚園では足元に園児の描いた絵や写真が散らばっていました。

 ロシア軍が攻撃によく使うのは旧ソ連時代から生産してきたS300というミサイルです。射程は70キロ程度で首都キーウには届かないが、40キロしか離れていないハルキウには約60秒で届く。ハルキウの団地では近くにミサイルが落ち、深さ1メートルほどの穴が開いていました。

 その破片に直撃された窓を木で修復していた団地には、人が住み続けていました。団地には地下壕があり、十数室ある地下壕を住民が分け合って使用しているのです。50代の女性は狭い地下壕を使っているので、マットを敷き孫だけを寝かせ、自分は手前の廊下に座ったまま寝ていました。彼女は空襲警報が鳴り終われば自室に戻っていましたが、中には8歳のひとり息子とずっと地下壕に暮らす35歳の母親もいました。この母親は買い物以外では外に出ないので、団地の中に「小学校」を作っていた。10畳大の部屋にテーブルとイスとwifiを置き小学生数名がスマホを使ってオンライン授業を受けており、国内外にいる教師が算数や国語、社会を教えていました。

 訪れた南部のザポリージャでは、S300よりもっと大型のミサイルが団地を直撃し63人が死亡しました。現場では子どもの玩具や鞄、家財道具などが散乱していましたが、それでもやはり人々が生活していました。

北方ジャーナル12月号の誌面から 「戦時下のウクライナを歩いた元朝日新聞記者が札幌で報告会」② 
ロシアのミサイル攻撃で破壊されたザポリージャの団地を取材中、現場の警備にあたっていたウクライナの警察官が岡野氏らを撮影してくれた(同氏提供)

大統領のためではなく
身近な人を守るために
 ロシアによる戦争犯罪、人権侵害はさまざまですが、ひとつは民間人の虐殺です。1カ月前に国連の人権高等弁務官事務所が「ウクライナでは市民9614人が死亡」と発表しましたが、これは国連が確認を取ることのできた数字なので、実際にはこの数倍あるいは十倍の人が死んでいるはずです。

 もうひとつは拉致と強制移住です。多くの子どもたちがウクライナから連れ出され、ロシアで養子に出されています。ロシア軍が占領している地域の親に対して、親ロシア派の学校校長が子どもたちを夏休みのキャンプに連れていくとなどと言いくるめる。こうして帰ってこない子どもたちは数知れず、連れ去られた子どもたちは洗脳が待っています。ウクライナ政府は「戦争の子どもたち」というホームページを毎日更新しており、10月5日現在で拉致・強制移住は1万9546人に上っています。

 プーチンの補佐官、マリヤ・リボワ=ベロワは日刊紙「イズベスチヤ」に、「子どもらを戦場から連れ出し、ロシア人の元に置く。逮捕状が出てもこの仕事を続ける」とコメントしています。戦場から子どもを避難、保護させていると真顔で主張し、彼女自身も15歳のウクライナ人の養子を取ったとプーチンに報告しています。

 ウクライナの地方自治体はあまり機能しておらず、国内を支えているのは西側から支援を受けるウクライナ人のボランティア組織です。ロシア軍はウクライナ軍が学校を拠点にしていると見て積極的に破壊しているのですが、こうしたボランティア団体は学校を事務局にしているため、非常に危なくなっています。

 今回ウクライナで印象的だったのは、戦意を煽るスローガンやポスターなどのプロパガンダ的なものが一切なかったことです。私はキーウの喫茶店から国内で最も南のヘルソンで戦っている男性兵士にスマホでインタビューしました。

「戦う時にスローガンはあるのか」との質問に、男性は少し考えてから「ウクライナに栄光あれ、ですかね」と答えました。これは、ゼレンスキー大統領が演説の最後を締めくくる言葉であり、ウクライナ人にとってイデオロギー色の強いフレーズは受け入れがたいということです。

「何より家族や身近な人を守りたい」とも語る彼は神父ですが、実は2回徴兵逃れをしたそうです。3回目の招集が来て、自分に正直に生きようと決意したと彼は言いました。前線でドローンを操縦して戦っている彼に、「キリスト教の教えに反しないのか」と聞くと、エルサレムの神殿でハトなどを売る商人を見たキリストが怒り、鞭で彼らを追い払ったという福音書の一説を引用し、「これは暴力の一種。ましてや今、私の周囲の人が殺されている。彼らを守るのがキリストの愛だ」と語りました。

 侵攻を始めた直後の昨年2月24日、ロシアはNATO(北大西洋条約機構)がウクライナの領土に軍事拠点を作るのは受け入れがたいと主張しましたが、NATOがウクライナを受け入れる余地は元々なかった。要はロシアが自分たちを正当化するプロパガンダだったと言えるでしょう。

 プーチン大統領の頭の中には、ウクライナは元々ロシアのものだという考えがある。それなのにゼレンスキーというナチス主義者は西側の言うことを聞き、アメリカの奴隷になっている──。彼は本気でそう思い込んでいます。プーチンはウクライナを中立の立場にし武装解除すると宣言しましたが、ロシアが仕掛けた戦争は、目的が領土獲得に移ってきており、版図をソ連時代に戻そうとするロシアの「帝国主義的」な色彩が強まっています。

 今回の戦争により、奇しくもこれまで「東西」で分裂しがちだったウクライナの人々が同じ国民であるとの意識を強く持ち始めています。ゼレンスキーのためではなく自分の国のために、そして何よりも身近な人のために、というのがウクライナ人の戦う動機です。(構成・編集部)



 36年間、記者として働いた朝日新聞を一昨年退職し、現在フリージャーナリストとして活動している岡野氏。朝起きるとまずパソコンを立ち上げ、ウクライナ情勢についてニュースをチェックする毎日だ。大学時代から数えてロシア語を40年以上学んできた同氏は、ロシア語で書かれたサイトも原文で読み情報を集めているという。

 講演会終了後に記者は「この戦争の行方はどうなるのか、いつ終わると考えているか」と問いを投げたが、岡野氏は「それは私にもわからない」としながら「しかし、西側が供与を約束しているF-16戦闘機が実戦に配備されれば、戦況がウクライ有利に変わってくる可能性がある。F-16はそれほど大きな意味を持っている」と答えていた。

 これまで世界各地のさまざまな紛争地を回ってきた岡野氏。今回のウクライナ取材は、「60代半ばの戦場ジャーナリストの覚悟を持って臨んだ」という。

「これが最後の戦場取材と思い、力を振り絞りました」(同氏)

(おかの・ただし)1960年札幌市出身。東京外語大学ロシア語科卒業。85年朝日新聞社入社。モスクワのプーシキン・ロシア語大学に留学後、西部本社社会部を経て東京社会部で基地問題や自衛隊・米軍などを取材。特派員としてルワンダ虐殺、東ティモール紛争、アフガニスタン戦争など紛争地の取材も多い。2021年からフリー。ロシア語の全国通訳案内士。著書に『自衛隊―知られざる変容』(朝日新聞社)、近著に『戦時下のウクライナを歩く』(光文社新書)がある。63歳


同じカテゴリー(政治経済)の記事画像
新入行員も頭取も気持ち新たに船出を切った北洋銀行の入行式 「同期として一緒に頑張ろう」と津山新頭取
両国関係の“雪解け”を願い「日中友好・新年交流会」を開催 春節のタイミングに合わせ4年ぶりの盛会
北方ジャーナル1月号の誌面から 石川寿彦氏による漫画「回顧2023 コロナは去ったが…」
巨星墜つ 北海道経済界の重鎮、伊藤義郎・伊藤組土建会長が96歳で逝去
北方ジャーナル12月号の誌面から 「戦時下のウクライナを歩いた元朝日新聞記者が札幌で報告会」①
「共に北海道の明日を切り拓こう」 北洋銀行が「2023年度内定式」を開催 昨年より18人多い新人81人が札幌に集結
同じカテゴリー(政治経済)の記事
 新入行員も頭取も気持ち新たに船出を切った北洋銀行の入行式 「同期として一緒に頑張ろう」と津山新頭取 (2024-04-03 09:57)
 両国関係の“雪解け”を願い「日中友好・新年交流会」を開催 春節のタイミングに合わせ4年ぶりの盛会 (2024-03-03 19:23)
 北方ジャーナル1月号の誌面から 石川寿彦氏による漫画「回顧2023 コロナは去ったが…」 (2024-01-03 18:08)
 巨星墜つ 北海道経済界の重鎮、伊藤義郎・伊藤組土建会長が96歳で逝去 (2023-12-09 18:06)
 北方ジャーナル12月号の誌面から 「戦時下のウクライナを歩いた元朝日新聞記者が札幌で報告会」① (2023-11-23 23:57)
 「共に北海道の明日を切り拓こう」 北洋銀行が「2023年度内定式」を開催 昨年より18人多い新人81人が札幌に集結 (2023-10-06 13:02)

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

QRコード
QRCODE
削除
北方ジャーナル12月号の誌面から 「戦時下のウクライナを歩いた元朝日新聞記者が札幌で報告会」② 
    コメント(0)