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2023年11月23日

北方ジャーナル12月号の誌面から 「戦時下のウクライナを歩いた元朝日新聞記者が札幌で報告会」①

北方ジャーナル12月号の誌面から 「戦時下のウクライナを歩いた元朝日新聞記者が札幌で報告会」①
「戦時下のウクライナ」をテーマに講演する岡野氏
(10月13日夕、さっぽろテレビ塔2階のレンタルホール)


 昨年2月24日に突如始まったロシアのウクライナ進攻。戦況に関するニュースは日々報じられても、戦火の下で生きる人々の声はほとんど伝わってこない。ロシア軍による砲撃やミサイルによる街の破壊、地下壕での避難生活や拉致監禁、性暴力、そして虐殺──。

 そんな人々の生の声に耳を傾けようと昨年11月から1カ月半、現地を取材したのが元朝日新聞記者でジャーナリストの岡野直(おかの・ただし)氏だ。その岡野氏が10月13日、「札幌なにかができる経済人ネットワーク」(呼びかけ人・越智文雄氏)の招きで来札し、市内で講演を行なった。イスラエルとパレスチナの間で新たな戦争が勃発し、ロシアのウクライナ侵攻関係の報道は影を潜めている印象がある昨今。だが、この悲惨で理不尽な戦争がいまなお続いている現実から目を逸らすわけにはいかない。本誌12月号に掲載した講演録の全文を公式ブログの読者にも特別にお届けしよう。

 今回の戦争の背景、そして市民たちの現在は──。ウクライナとロシアに精通している岡野氏のリアルな報告に注目だ。本日以降、複数回に分けて掲載する。 (く・あ)

「ロシアとの戦争」で国民が
ひとつになったウクライナ

プーチンの犯罪とロシアの帝国主義


ゼレンスキーの躍進に
ロシアが抱いた危機感
 ウクライナ戦争を通して考えさせられるのは、国民とはいったい何かということです。アイルランド出身の政治学者、ベネディクト・アンダーソンが著書、『想像の共同体』の中で「国民という政治共同体はイメージの産物である」と書いているように、国民というものの実態は明確なようでいて、そうでもない。では何が大事か。共通のコンテンツが大事だとこの本からは読み取れます。

 この人々に共有されるコンテンツが豊富な我が国では、意識しなくても自分は日本人だと確認することができます。しかし、ウクライナ人には、ウクライナ国民としての拠り所は、それに比べ弱い。国中どこでも日本語が通じる日本と違い、ウクライナはウクライナ語が国家語とされ公の場で使われる一方、ロシア語を母語とする人も多数いて、国民としてのアイデンティティが今ひとつ明確でないところもあるからです。

 ウクライナは1991年に独立するまでは旧ソ連を構成する共和国のひとつで、特にロシアと隣接する東部の住民は、ロシアにシンパシーを感じる人も少なくなく、自分がロシア寄りなのかウクライナ寄りなのかアイデンティティがはっきりしない場合もけっこうあった。

 一方、西部の5~6つの州はウクライナ語を話す人が多く、その内3州では特にウクライナ語話者が多い。国全体では両言語を話すバイリンガルが多数派とはいえ、言語的・文化的に東西に分裂しがちな国家でした。

 ゼレンスキー政権誕生の2019年に行なわれた議会の総選挙では、「東西」の差がかなり克服されました。ロシア語を母語とする親ロシア派の人々の票をも取り込み、ゼレンスキー与党が圧勝したのです。大統領選の決選投票でもゼレンスキーは73%の高得票を得ています。

 その要因のひとつは2014年のロシアによるクリミア半島の一方的な編入、東部への軍事的介入の後に続いた戦闘でした。「和平」を強調したゼレンスキーは、戦闘に嫌気がさした人たちの心を捉えた。彼はコメディアンで政治は未経験でしたが、テレビドラマ「国民の僕」で大統領に転身する教師の役を演じた。これが選挙期間中にテレビで放映され、高視聴率を上げたのです。

 しかし、東部での紛争をめぐるロシアとの和平は実現せず、ゼレンスキー大統領の支持率は20%台にまで低迷します。そんな中、去年の2月24日にロシアのウクライナ本格侵攻が始まり、ゼレンスキー大統領は戦時における指導者として国際的にも一躍注目されるようになりました。

 その後に行なわれた世論調査で「あなたはウクライナ国民ですか」という質問に70%の人がイエスと答えています。ロシアの進攻で「東西」に分裂していた国がひとつにまとまったのです。

 なぜそうなったのか。ロシア軍の進攻2週間後の戦況図では、ロシアは3方向からウクライナを攻めました。まず、北からキーウを目指し、そして東のドンバスと南の3方向からウクライナ侵略を進めた。2021年からこの国境周辺には十数万人のロシア軍が集結し演習を繰り返していましたが、国内外の専門家や西側の指導者は、まさか進攻はしないと考えていた。

 侵攻を始めた時、プーチンが狙っていたのはキーウでした。大量の軍用車を送り込めばゼレンスキーは2、3日で降伏するだろうと考えていた。しかし、全くそうならなかった。彼は降伏も国外逃亡もしませんでした。侵攻1年後の戦況図を見ると、北部をウクライナ軍が奪還しロシア軍は撤退した。北東部のハルキウも去年10月にウクライナ軍が奪還。もう1カ所、ヘルソンというクリミア半島の北部にある州の北西部もウクライナ軍が奪還しています。それでも、現在ウクライナ国土の17%はロシアの占領下にあります。

 ウクライナ軍は現在、1000キロメートルに及ぶ戦線を2つに分断しようとして、ザポリージャからウクライナを南下しようとしています。ここでロシア軍を2つに分断しクリミア半島を奪還。それから東部もという作戦を取っていますが、地雷原に阻まれてなかなか進むことができません。ロシア軍がウクライナに敷設した地雷は全土の30%に及ぶと言われています。地雷の除去は手作業も少なくなく、あるNGOは全ての地雷撤去には700年余りかかると試算しています。

北方ジャーナル12月号の誌面から 「戦時下のウクライナを歩いた元朝日新聞記者が札幌で報告会」①
岡野氏の話に熱心に聴き入る参加者


知りたかった戦時下を
生きる人々の声と苦悩
  今回の戦争で、私は記者としてウクライナの市民がどのような暮らしをしているのか、どのような苦しみに置かれているのかを知りたかった。昨年11月に成田からポーランドのワルシャワに飛び、そこから寝台列車でキーウに入り、アパートの一室を借りました。そこを拠点に1カ月半、全部で6カ所の都市、及びその近郊をまわり、戦時下で生きる人々の声を取材しました。

 最初にクリミア半島の北部、ヘルソン州の地方記者で拉致・監禁された経験のある知人に会いました。現在は西部のリビウという町に避難している彼のアパートを訪ねて話を聞くと、去年の3月12日、「バス停にいるから出てきてほしい」と友人から電話があった。バス停に行くと友人はおらず軍用車が止まっていた。そこでロシア兵に拉致され、連れ込まれた市役所の一室で拷問を受けたといいます。当時、ロシア軍がヘルソン州全域を占領支配しており、彼はウクライナ人への支援を行なっていたからです。

 その部屋で、ロシア人に協力するウクライナ人と親ロシア寄りのウクライナ人から、反ロシア集会を組織している人物の名前と住所を言うよう約1時間、尋問されたが、彼は口を割らなかった。その後、軍用車に連れ戻されると手足を縛られたうえ銃で殴られ肋骨にヒビが入った。でも、それ以上に痛かったのはきつく縛られていた手だったそうです。

 昨年の秋にウクライナ軍は、その監禁施設のあったヘルソン市を解放しました。彼は監禁施設を探そうとリビウからヘルソン州に戻り場所を突き止めました。自分が監禁されていた建物は3階建てで、1階と2階にウクライナ人が閉じ込められており、拷問を受けていた人の悲鳴が聞こえたといいます。彼はこうした部屋に8日間放置された。ロシア人の狙いはウクライナ人に恐怖を与えること。それによりウクライナ人がロシアの占領軍に協力するよう仕向けるのが狙いだと彼は話していました。

 9月末に国際連合人権委員会の独立調査委員会が公表した調査結果によると、南部ヘルソン州とザポリージャ州で拷問が広範囲に行なわれ、電気ショックも使われた。拷問で死に至るケースもあったことが分かりました。私はこの電気ショックが気になります。通常、軍が進攻する時にはそのような装置は持ち込まないからです。私はロシア軍だけでなく、それ以外の何らかの組織がこの戦争に深く関与しているのではないかと見ています。

 ウクライナ軍のYouTubeチャンネルで「なぜこの戦争でウクライナ軍の兵士たちが前線まで行くのか」と質問を受けた衛生兵の女性が、「家族が一室に閉じ込められ、隣の部屋で娘が性暴力を受けないようにするためです」と答えていました。ソ連は第二次世界大戦の終了間際に日本を攻撃してきましたが、この時、我が国の女性もソ連兵から性暴力を受けた。戦争を知らない世代の私もそれを伝え聞いています。ウクライナでもこの事実は代々語り継がれていくと思います。(つづく)



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Posted by 北方ジャーナル at 23:57│Comments(0)ニュース政治経済
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