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2009年07月08日

#.7 ポリス「白いレガッタ」

#.7 ポリス「白いレガッタ」
いま蘇る、あのミュージシャン!
懐かしのRock
(フリーライター 七闇夢妖)
第7回 The Police『Reggatta De Blanc』
(※ 北方ジャーナル2004年11月号掲載記事)




最強トライアングルのホワイト・レゲエ宣言


 70年代半ばにロンドンから火が付いたパンク・ムーヴメント。セックス・ピストルズやクラッシュ、ダムドといった小汚い連中がツバを飛ばし、ヘドをまき散らしながらかき鳴らす「3分間ロックンロール」は、小難しくなり過ぎたロックへの“批評”として新鮮に映った。だが、ハードロックやプログレの道を志していたミュージシャン予備軍たちを困惑させた面もあったようだ。

 78年にシングル「ロクサーヌ」でデビューしたポリスは、パンク・ムーヴメントから出発したバンドである。もっとも、パンクファンの評判は芳しくなかったらしく「エセパンク」の称号も頂戴したようだが、それもそのはずだ。

 ジャズバンド出身のスティング(b・vo)、プログレ出身のスチュワート・コープランド(ds)、売れっ子スタジオミュージシャンのアンディ・サマーズ(g)と、メンバーはいずれも音楽知識が豊富で年齢も高い。単純な3コードパンクに満足できるはずがないではないか。

 とはいえ、レコード会社の思惑もあってパンク路線でデビューしたポリス。ファーストアルバムの「アウトランドス・ダムール」(78年)は、取って付けたようなパンクっぽい曲も見られるものの、スティングの作曲能力の高さもあって名盤の評価を得る。レゲエを彼らなりに消化したセカンドシングルの「キャント・スタンド・ルージング・ユー」など名曲も多く、パンクをはみ出したニューウェイブとも言われた。

 一発屋的な見方もされていた彼らだが、世界的にブレイクしたのはセカンドの「白いレガッタ」(79年)からだ。グラミー賞のベストインストルメンタル部門を受賞したタイトル曲は“ホワイト・レゲエ”の意味だというが、アルバム発売時に小学生だった筆者にも最初のシングル「孤独のメッセージ」は衝撃的だった。

 ポリスは極めて演奏力の高いバンドだが、その個性を際立たせているのは、スチュワートのドラムだ。リズムをキープするというよりは「走る」タイプでアタックも強烈。リズムでメロディを感じさせる才能は貴重で、その分アクは強い。対してアンディのギターは曲想に合わせて変幻自在。2人の個性を手堅いベースで支えていたのが、ボーカルとほとんどの楽曲を手掛けるスティングというわけだ。

「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」「ブリング・オン・ザ・ナイト」…とシンプルなトリオ構成から生み出される名曲に圧倒された「白いレガッタ」だが、確か日本版ライナーノーツではパンクっぽい「イッツ・オールライト・フォー・ユー」が最大の聞き物とされていたと記憶する。当時は何か違和感を持ったものだ。

 スーパースターとなったポリスはサード「ゼニヤッタ・モンダッタ」(80年)で独自のホワイト・レゲエをポップに表現するが、ファンの評価は割れた。筆者が最高傑作だと考えるのは、シンプルなトリオ構成にこだわっていた彼らが初めてシンセサイザーを導入したフォース「ゴースト・イン・ザ・マシーン」(81年)で、ポップさとマニアックさが混交した大人のサウンドはカッコ良すぎるほどだった。





 この後、ポリスは大ヒットアルバム「シンクロニシティ」(83年)を発表して休眠状態に入る。スティングはジャズミュージシャンらをバックに「大人のポップ」路線でコンスタントにヒット作を生んでいるが、これは「2人が欠けても俺は売れるんだ」というコンプレックスの裏返しか。対して、アンディはジャズ系、スチュワートはエスニック系とそれぞれの道を歩んでいる。

 何を聞いてもハズレはないポリス。新譜を出す度に進歩するサウンドで驚かせてくれたオリジナリティは、いつまでも色褪せない。




※ この記事は、北方ジャーナル2004年11月号に掲載されたものです






Posted by 北方ジャーナル at 16:28│Comments(0)
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