観光卸HPI創業者で札幌学院大学前理事長の井上俊彌氏が逝去 木彫りから菓子へ。今の土産品市場の礎を築く

北方ジャーナル

2025年05月01日 11:22


井上氏(写真)は黎明期から今日に至る道内土産品市場を形作ってきた立役者のひとりだ

 観光土産品卸、㈱HPI(本社札幌)の創業者で、2014年5月から安孫子建雄現理事長にバトンタッチする2021年5月まで札幌学院大学の理事長を務めた井上俊彌氏が4月23日、入院加療中のところ上腸間膜動脈閉塞のため逝去した。享年94歳。妻の節子さんが喪主を務め、札幌市豊平区の札幌斎場で社葬にて4月28日通夜、29日葬儀が執り行なわれた。
 井上氏は1931年生まれ、小樽市出身。1953年に現在の札幌学院大学の前身、札幌短期大学の第一部商業科を卒業し、同年三馬ゴム入社。1963年北邦入社。そして1969年に土産品卸の井上商事を起業する。

 同社は1976年、道内土産品卸の最大手、北海道観光物産興社(本社札幌、現社長は道議会議員も務める伊藤条一氏)と合併し、1981年に同社の代表取締役社長に就任する。

 この当時の観光土産品と言えば、熊の木彫りなど非食品が主力だったが、そんな時代に菓子や食品のお土産に着目したのが井上氏。

 前述の井上商事と北海道観光物産興社が合併した1976年は、今なお北海道土産の定番として定着している石屋製菓(本社札幌)の「白い恋人」が産声をあげた年でもあるが、井上氏は土産品問屋として「白い恋人」の販路拡大に尽力した。

 それからおよそ20年後、北海道観光物産興社が売上高100億円の大台まで間もなく達するという時期に、井上氏は同社がかねてより抱えていた構造的な問題にメスを入れる。それは役員の刷新だ。

 同社はそもそも北海道の土産品市場の取りまとめ役になるような会社を設けようと、複数の企業や個人株主による共同出資で1960年に設立された。その出資者の中には競合する観光土産品問屋もあった。そういった成り立ちから、社外取締役なども出資者から選任されるように。それは創業から約40年を経ても大きく変わることなく、競合問屋の役員も代々同社の社外取締役を務めていた。つまりは北海道観光物産興社の企業情報が長年、ライバル社に公然と筒抜けだったわけだ。

 そこで井上氏は役員刷新の大ナタを振るおうとしたが、株主などからの猛反発で逆に追いやられる側に。結果、北海道観光物産興社を離れ新たな土産品問屋・HPI(北海道プロダクツイノベーション)を2002年に設立することとなるが、井上氏と同じように自社の体制に憤りを感じていた北海道観光物産興社の一線級社員の多くが、同氏を慕ってHPIに合流していった。

 そうして設立したHPIも今では社歴20年以上の会社に。また井上氏は2014年には前述の通り、かつての学び舎の理事長にも就任した。
 目下、北海道の基幹産業と位置付けられている食と観光。井上氏は観光土産品市場において、黎明期から今日に至るその礎を築いてきたひとりだ。

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