父子でススキノの発展に尽力した久末聖治氏「お別れの会」

北方ジャーナル

2014年11月29日 12:17


遺影を背に主催者代表として挨拶する加森社長(11月28日午前、札幌パークホテル)

 11月3日、肺がんのため67歳で亡くなった元北海道振興社長の久末聖治氏の「お別れの会」が28日午前、札幌市内のホテルで開かれた。
 聖治氏は、戦後のススキノを近代化させた功労者と言うべき久末鐵男氏の子息。大学を卒業後、鐵男が創業した飲食店ビルの管理業を手がける北海道振興に1970年に入社。営業部長や専務などを経て84年に社長に就任し、以後「グリーンビル」を中心にホテル事業やリゾート事業にも積極的に進出を図った。90年から2000年まで「札幌薄野ビルヂング協会」会長、2000年から05年までは「すすきの観光協会」の会長などを務め、文字通り「ススキノ」の顔として知られていた。だが、約85億円を投じて行なった函館市でのテーマパーク事業が挫折するなどバブル期の投資が裏目に出て経営破綻。結果的に170億円の債務超過に陥り2003年に民事再生法の適用を申請して社長を退き、以後は、宗教法人札幌宇光院札幌霊堂代表役員、札幌斎場理事長などを務めていた。


67歳での旅立ちを多くの関係者が悼んだ

 この日の「お別れの会」では、主催者を代表して加森観光の加森公人社長が挨拶し、聖治氏の経歴や最期の日々などを紹介。本人が2年前から間質性肺炎を発症し闘病していたことや今回の入院中に末期の肺がんが見つかり間もなく亡くなったことなどを参列者に伝えた。その後は友人代表として、すすきの観光協会の篠田政一会長や日本防水総業の片山英男社長が涙ながらに弔辞を読み上げ、故人の早すぎる死を悼んだ。会場には生前、故人と親交があった関係者が多数足を運び、故人の遺影に花を手向けていた。



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