こまどり姉妹がやってきた!

北方ジャーナル

2010年12月09日 01:01


左から大月隆寛さん、長内栄子さん(姉)、長内敏子さん(妹)、赤坂憲雄さん
(8日夜、札幌市中央区の道新ホール)


 8日午後、札幌市内でイベント「こまどり姉妹とその時代」が開かれ、炭坑全盛期の北海道をルーツに持つ双子デュオ・こまどり姉妹のステージに老若男女400人が喝采を贈った。芸歴半世紀超、72歳のこまどり姉妹は、映画・歌謡ショー・トークライブの3本立て、約3時間のステージを昼夜2回こなし、今なお衰えぬパワーで往年のファンらの拍手に応えた。

 札幌国際大学の北海道地域・観光研究センター「ホッカイドウ学」準備室が企画、運営した。司会を務めた同室長で民俗学者の大月隆寛さん(51)は、「芸能人が真の芸能人であった時代の凄みを実感して欲しい」と呼びかける。来春発足予定の「ホッカイドウ学」講座開設に先立つ試みに、大月さんの教え子である20歳代の学生たちも多数参加、時代を超えた芸の力に圧倒されている様子だった。



 道内初上映のドキュメンタリー映画『こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』(2009年、片岡英子監督)は、現在の姉妹を追った道内ロケの映像に全盛期の映像をからめ、本人たちの独白に沿って2人の来し方を描いた秀作。「歌が好きで歌手になったんじゃない」という衝撃的なフレーズで幕を開ける同作は、生活のために歌い続けざるを得なかった姉妹の悲喜こもごもを描きながら、どこか達観した2人の語りが悲惨さを突き抜けて“芸”の域に達しているさまを映し出してみせた。




 続く歌謡ショーでは、息もぴったりの2人がデビュー曲『浅草姉妹』やヒットナンバー『ソーラン渡り鳥』などの名譜を休みなく熱唱、約1時間の豪華なステージに“当時の若者たち”が酔い痴れた。デュエットや三味線弾き語りだけでなく、姉・栄子さんが日舞を披露する「特別サービス」も盛り込まれ、拍手喝采が止まない舞台となった。




「公開聞き書き」と題したトークライブでは、民俗学者の赤坂憲雄さん(57)が登壇、大月さんとともに姉妹の軽妙な語りに耳を傾けた。「こまどり姉妹は今が旬なんじゃないか」と、赤坂さん。「2人の曲に代表される“北の演歌”を掘り起こし、後世に伝えていく必要がある」との問題提起に、妹・敏子さんが「ぜひお願いします」と応える一幕も。会場の学生から「若者に伝えたいことは」の質問が飛ぶと、「親御さんを大事にしてあげて欲しい」と姉妹が呼びかけた。

 イベント終了後も会場の熱気が冷めることはなく、ロビーには記念撮影を求める参加者の長い行列が。「北海道に来ることが一番の楽しみ」というこまどり姉妹は、笑顔を絶やすことなく一人ひとりの声援に応えていた。



 こまどり姉妹は1938年生まれ、釧路市出身。炭坑員だった父の都合で道内を転々とし、母とともに11歳から“軒付け”で家計を助けていた。13歳で上京し、東京・山谷を拠点に“流し”などで歌を披露、興行師の間で名が知られるようになり、1959年にシングル『浅草姉妹』(コロムビア)でデビューした。当初、並木栄子・葉子と名乗っていたが、のちに一般公募でこまどり姉妹に改称、“演歌界のザ・ピーナッツ”と呼ばれて人気を博した。61年発表の『ソーラン渡り鳥』が大ヒットし、同年からNHK紅白歌合戦に7回連続出場、人気を不動のものにする。その後、敏子(葉子)さんの怪我や癌、スタッフの不正経理などの不幸が続くも、歌の世界から退くことはなく、地方の温泉などを廻って地道に芸歴を重ねていった。2009年の『ヤァ!ヤァ!ヤァ!』公開をきっかけに支持層が拡がり、現在は若者を中心に再評価の動きが高まっている。  (ん)

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