苫小牧の街並を眼下に赤羽さんの話を聞いた(07年11月下旬)
企業のトップが頭を下げる姿を見飽きた感のある一連の食品偽装問題だが、今回の“野火”の発火点は、誰もが知るように「ミートホープ事件」だった。クズ肉を加工し「牛」と称して大量に販売していたことなどで、世間の耳目を集めたことは、いまだ記憶に新しい。
この事件が世間に明るみに出たのは、内部告発者の力によるところが大きい。そして、そのなかでも中心的な役割を果たしていたのが赤羽喜六さん(72)という人物だ。彼は、10年ほど同社に勤務した元常務で、とりわけ本州方面の販路拡大に力を尽くした営業幹部だった。
その赤羽さんが、退職を決意しながら本格的に道や農水省、マスコミに情報提供を行なっていき、その結果が、朝日新聞の第一報スクープにつながった。以後の過熱報道については説明の必要がないだろう。
本誌は今回、その赤羽さん本人にロングインタビューを行ない、まもなく発売される1月号に内容を収録した。ちなみに本人の了解のもとで顔写真や実名も掲載してある。
「いままで顔を隠していたのに今頃なんで出てくるのか?」という問いには、こう答えておこう。
「編集部からお願いしての掲載です。今回の事件で内部告発者が果たした役割や苦悩などを率直に伝えるに当たって、もはや匿名である必要はないのではと、説得しました。そのうえで、そのままを伝えてくれれば、というのが赤羽さんの唯一のリクエストでした」
苫小牧のホテル上層階で、市内を眺めながら赤羽さんは「私はネ、偽装の片棒担いだまま、人生終われんかったですよ」と言った。「誰が自分の居た会社に弓なんか引きたいもんかネ」とも口にした。
ミートホープ汐見工場で同社への破産通告に
目を走らせる赤羽さん(07年7月下旬)
背負ってしまった十字架と知ってしまった事実の間で揺れ動く内部告発者、口を拭っても心の中は穏やかにはならず、告発するには相当な覚悟がいる。そのような引き裂かれる思いは、できれば誰も味わいたくない。──だが、時にそういう役回りを演じねばならないひとたちもいる。今回の赤羽さんのように。
食品偽装告発の発火点となった「赤羽証言」に、おそらく相当多くのマスコミが世話になっているはずである。赤羽さんも、さぞメディアに感謝しているかと思えばさにあらず。
「最初マスコミは、こっちがいくら証言しても及び腰。唯一DNA鑑定含めて頑張ってくれたのが朝日だったネ。スクープ抜かれたら、今度は大挙して押し寄せてきて、礼儀も何もない。私に関する警察情報が出た時も、こちら側には何にも確認や取材をしないで書く。正直、ありがたかったですが、迷惑も被ったね、けっこう」
と、辛辣だ。
今回のインタビューでも述べられているが、メディアや行政の対応がもっと早く適切であれば、これほど大きな事件になってはいなかったという慚愧の思いが、そこにある。
行為の悪質さも目立ったが、周囲の怠慢が傷を深くしたケースという印象も否めない。
裏話はもちろんだが、興味深い指摘は、まだまだあった。
──そんなわけで、続きは、どうぞ全6ページの本誌1月号で。
(※本誌の写真と文は小笠原記者)。
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