いまなぜ? 中川昭一元財務・金融相が急死──

北方ジャーナル

2009年10月04日 14:03


09年2月28日、十勝の集会で「もうろう会見」について釈明した故・中川昭一元大臣
中川元財務相が死亡=東京・世田谷の自宅-目立った外傷なし

10月4日10時17分配信 時事通信

 中川昭一元財務・金融相(56)が4日午前、東京都世田谷区の自宅で死亡しているのが見つかった。目立った外傷はなく、事件に巻き込まれた可能性はないとみられる。遺書も見つかっておらず、警視庁世田谷署は詳しい死因を調べる。
 同署などによると、同日午前8時20分ごろ、妻が「倒れている」と119番し、救急隊員が駆け付けたが、既に中川氏は死亡。自宅2階の洋間寝室のベッドでうつぶせに倒れていた。
 妻は中川氏が起きてこないのを不審に思い、寝室を訪れて発見。ポロシャツと短パン姿で、体が冷たくなっていた。布団は掛かっておらず、吐血などはなかった。自殺をうかがわせる形跡はないという。
 3日午後9時すぎ、妻が外出先から帰宅した際、中川氏は就寝中で、呼吸しているのを確認。中川氏は普段、一人で寝ているという。
 警視庁関係者によると、死後7~8時間が経過していたとみられる。
 中川氏は東京大法学部を卒業し、日本興業銀行(当時)に勤務したが、父の中川一郎元農水相の死去を受け、1983年12月に衆院議員に初当選。農水、経済産業両相や自民党政務調査会長を歴任した。
 2008年9月、麻生内閣で財務・金融相に就任したが、ローマでの先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の「もうろう会見」で批判され、09年2月に辞任。8月の衆院選で落選した。 


 私が最後に会ったのは、昨年9月下旬。都内で政治家への取材を終えた後、エレベーターのなかで一緒になった時だ。意外と小柄な中川さんは、声をかけると「北方ジャーナルは帯広でもけっこう読まれてますよ」などと、気を遣ってくれていたことを思い出す。
 当時は、麻生内閣が誕生し解散風が一段と吹いていた時期だった。病死なのか自殺なのか。死因はこれから明らかとなってくるのだろうが、早すぎた死としか言いようがない。先の衆院選で落選した直後なだけにさまざまな憶測が乱れ飛ぶことは想像に難くない。

 それにしても急死は、実父・中川一郎に続いての出来事。親子二代の中川王国は、これで本当に消滅してしまったことになる。

 関係者から続々コメントが寄せられ続けているが、この中で新党大地の鈴木宗男代表は4日午前に会見を開き「言葉が出ないというのが本音」と涙ながらに話した。

 鈴木代表は、今でこそ中川氏とは敵味方の間柄ながら、昔は故・一郎氏の秘書を務めていた人物。「しょうちゃん」と呼んでいた昭一氏のことは、子供の頃からよく知っており、よく可愛がっていたと聞き及ぶ。

 政治の師匠である一郎の怪死、そしてまた、その息子の訃報にふれることになった宗男氏の心中はいかばかりか──。私としても心から冥福をお祈りするしだいだ。

 鈴木代表の会見については、まもなくアップ予定の本ブログで確認されたし。   (く)