2022年09月13日
9月15日発売予定の本誌10月号がスタンバイ
13日朝、事務所に届いた2022年10月号
9月15日発売予定の本誌、北方ジャーナル10月号が刷り上がり本日朝、事務所に到着。発売に先駆けて定期購読者や関係者に発送を終えた。今月も他誌では読めないコンテンツを是非、実物で確認してもらいたい。ちなみに今回の巻頭言では、昨今の旧統一教会問題を受けて私は「政治と宗教」と題して次のように書いた。(く)
政治と宗教
安倍元首相を銃撃し死亡させた容疑者が母親がらみで旧統一教会を恨みに思っていたことを契機に、次々に政治家たちがこの宗教団体との関係を問われているが、この構図を奇妙に思うのは私だけだろうか。
事件でクローズアップされた旧統一教会の度を越した布教活動が「ケシカラン」というわけで、関係していたセンセイたちがやり玉に上げられているわけだが、「何をいまさら」というのが私の感想だ。
はるか前から政治家は票を求めて宗教団体にすり寄り、宗教団体はパワーを求めて政治に近づいてきた。その究極とも言える姿が現在の自公政権だろう。
献金云々にしても公明党の支持母体である創価学会も昔は正直褒められたものではなかった。元々生産手段を持たない宗教団体は信者たちの寄進やお布施に頼ることでしか成り立たない。そして多くの信者たちは善業、功徳を積むと信じて金品を差し出す。後は程度問題ということだ。
「政治と宗教」をテーマに旧統一教会のみを悪者にする論議は、極めて皮相的に思えてならない。このテーマで真っ先に問うべきは、憲法における政教分離との兼ね合いが微妙な自公政権のあり方ではないのか。
安倍元首相を銃撃し死亡させた容疑者が母親がらみで旧統一教会を恨みに思っていたことを契機に、次々に政治家たちがこの宗教団体との関係を問われているが、この構図を奇妙に思うのは私だけだろうか。
事件でクローズアップされた旧統一教会の度を越した布教活動が「ケシカラン」というわけで、関係していたセンセイたちがやり玉に上げられているわけだが、「何をいまさら」というのが私の感想だ。
はるか前から政治家は票を求めて宗教団体にすり寄り、宗教団体はパワーを求めて政治に近づいてきた。その究極とも言える姿が現在の自公政権だろう。
献金云々にしても公明党の支持母体である創価学会も昔は正直褒められたものではなかった。元々生産手段を持たない宗教団体は信者たちの寄進やお布施に頼ることでしか成り立たない。そして多くの信者たちは善業、功徳を積むと信じて金品を差し出す。後は程度問題ということだ。
「政治と宗教」をテーマに旧統一教会のみを悪者にする論議は、極めて皮相的に思えてならない。このテーマで真っ先に問うべきは、憲法における政教分離との兼ね合いが微妙な自公政権のあり方ではないのか。
Posted by 北方ジャーナル at 12:38│Comments(0)
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