2022年06月17日
北方ジャーナル7月号の誌面から 「創刊50周年記念特集」で作家・元東京都知事の猪瀬直樹氏が本誌に寄稿
参院選に出馬する猪瀬直樹氏
日本維新の会から要請を受けて全国比例区で参院選への出馬を決めた作家で元東京都知事の猪瀬直樹氏。その猪瀬氏が本誌の「創刊50周年記念特集」に応援メッセージを寄せてくれた。実は、猪瀬氏と本誌は25年前からの付き合い。2012年の創刊40周年の時にも寄稿を頂戴している。当時、同氏は東京都副知事の立場で、夕張への職員派遣などを通じて北海道を応援してくれていた。あれから10年を経て立場も変わったいま、猪瀬氏が伝えたいものとは──。(く)
創刊50周年に寄せて
新たな未来の指針を全国に発信
作家・元東京都知事 猪瀬 直樹
北方ジャーナル創刊25周年企画で講演した際、僕はこう言いました。
「僕は物書きとしてベンチャービジネス、常にこれまでにない視点でチャレンジしてきた。貴誌もそうでしょう。東京発の全国メディアでは描けない地域の話題を独自の切り口で発掘して存在感を発揮している。単なる地域でなくそこから日本という国が浮き彫りにされるのだ」
40周年の際には、ちょうど夕張問題が発生していたのです。「北方ジャーナル」とはよほど縁が深い。
早いもので2011年の3・11からも10年以上が経ちます。当時、僕は東京都副知事でした。被災地の自治体に東京都の職員を多数派遣して復興に協力した。その職員派遣がスムーズに実施されたのは、08年に財政破綻の夕張市へ若手職員を派遣した経験があったからでした。
夕張市への派遣職員のうち1名が鈴木直道君でした。その後、夕張市長となり、ご存知のように北海道知事となってコロナ禍では寝食を忘れるほどに頑張りました。
僕は副知事を5年半努めた後、石原慎太郎都知事より後継指名され、東京都知事として2020東京五輪の招致に成功した。しかし脇が甘いところを衝かれ1年で辞職することになり、支援してくれた皆さまにご迷惑をかけてしまいました。
2015年より大阪府・大阪市の特別顧問に就任し、大阪都構想に協力してきた。その間、作家として「この日本をどうつくりかえたらよいのか、そのために何をすべきなのか」と考え、医療・介護問題を分析して解決策を『日本国・不安の研究』にまとめ、気候変動をテーマに脱炭素の具体的な対策を『カーボンニュートラル革命』として刊行した。
作家活動の中で僕には明瞭に解が見えてきた。昨年11月、民間臨調「モデルチェンジ日本」を立ち上げ、官邸で岸田首相に提言書を手渡した。だが岸田政権の支持率は急上昇しはじめ、得意の「聞く耳」も当てにできなくなりはじめた。
政権に緊張感をもたらすためには「政治の力」が必要だと考えるようになった。もう一度、僕にできることがあるだろうかと考えはじめた矢先、日本維新の会から参議院の全国比例区で立候補してくれないか、と要請を受けた次第です。
「猪瀬さん、日本を頼むよ」と言われた石原さん亡き後、あらためて彼の遺志を継ぎたいと思っています。
今後のエネルギー革命の行方は北海道にかかっていると信じています。なぜなら太陽光をはじめ風力と地熱の資源は北海道が日本一の宝庫だからです。かつて夕張が良質の石炭を掘削していたが、日本の脱炭素の新たな革命は北海道が中心になります。
50周年を迎える「北方ジャーナル」には新たな未来の指針を全国に発信してほしいと願っています。
新たな未来の指針を全国に発信
作家・元東京都知事 猪瀬 直樹
北方ジャーナル創刊25周年企画で講演した際、僕はこう言いました。
「僕は物書きとしてベンチャービジネス、常にこれまでにない視点でチャレンジしてきた。貴誌もそうでしょう。東京発の全国メディアでは描けない地域の話題を独自の切り口で発掘して存在感を発揮している。単なる地域でなくそこから日本という国が浮き彫りにされるのだ」
40周年の際には、ちょうど夕張問題が発生していたのです。「北方ジャーナル」とはよほど縁が深い。
早いもので2011年の3・11からも10年以上が経ちます。当時、僕は東京都副知事でした。被災地の自治体に東京都の職員を多数派遣して復興に協力した。その職員派遣がスムーズに実施されたのは、08年に財政破綻の夕張市へ若手職員を派遣した経験があったからでした。
夕張市への派遣職員のうち1名が鈴木直道君でした。その後、夕張市長となり、ご存知のように北海道知事となってコロナ禍では寝食を忘れるほどに頑張りました。
僕は副知事を5年半努めた後、石原慎太郎都知事より後継指名され、東京都知事として2020東京五輪の招致に成功した。しかし脇が甘いところを衝かれ1年で辞職することになり、支援してくれた皆さまにご迷惑をかけてしまいました。
2015年より大阪府・大阪市の特別顧問に就任し、大阪都構想に協力してきた。その間、作家として「この日本をどうつくりかえたらよいのか、そのために何をすべきなのか」と考え、医療・介護問題を分析して解決策を『日本国・不安の研究』にまとめ、気候変動をテーマに脱炭素の具体的な対策を『カーボンニュートラル革命』として刊行した。
作家活動の中で僕には明瞭に解が見えてきた。昨年11月、民間臨調「モデルチェンジ日本」を立ち上げ、官邸で岸田首相に提言書を手渡した。だが岸田政権の支持率は急上昇しはじめ、得意の「聞く耳」も当てにできなくなりはじめた。
政権に緊張感をもたらすためには「政治の力」が必要だと考えるようになった。もう一度、僕にできることがあるだろうかと考えはじめた矢先、日本維新の会から参議院の全国比例区で立候補してくれないか、と要請を受けた次第です。
「猪瀬さん、日本を頼むよ」と言われた石原さん亡き後、あらためて彼の遺志を継ぎたいと思っています。
今後のエネルギー革命の行方は北海道にかかっていると信じています。なぜなら太陽光をはじめ風力と地熱の資源は北海道が日本一の宝庫だからです。かつて夕張が良質の石炭を掘削していたが、日本の脱炭素の新たな革命は北海道が中心になります。
50周年を迎える「北方ジャーナル」には新たな未来の指針を全国に発信してほしいと願っています。
Posted by 北方ジャーナル at 10:45│Comments(0)
│編集長日記
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。