2022年04月20日
北方ジャーナル5月号の誌面から 「公共交通をどうする? 第118回 JR函館本線長万部~札幌間の大きな価値」
ほぼ満席だった「山線」の上り列車内(写真は一部加工)撮影:中添眞氏
またひとつ、北海道のかけがけのない“血管”が閉塞しようとしている。それが通称「山線」、JR函館本線の長万部~札幌間の廃止だ。JR北海道の経営難を理由にした合理化、採算の取れないとされる鉄路の廃止が続いている。この流れに異を唱えるひとりが本誌で「公共交通をどうする?」と題した論評を毎月寄せてくれている交通アナリストの中添眞氏だ。
今回、発売中の5月号に掲載した内容を特別に公開したい。述べたように、私は鉄路は人間で言えば血管のようなものだと考えている。空気を主に運んでいるような路線をそのままにしておくことには賛成しないが、旅客を増やすことに無策な鉄道会社にエールを送ることもできない。閉塞された路線、血管を再生することは困難だ。そこで失われる価値の検証、可能性の追求は果たして十分だったのか──。客としてできることを含めて、いろいろなことを考えさせられる今回の寄稿だった。(く)
「切り捨てられる鉄道財産「山線」
中添 眞
さる3月のある日、通称「山線」と呼ばれるJR函館本線の長万部~札幌間に乗車した。日頃鉄道愛好家を自任している私だが、この区間の通し乗車は52年ぶり。その山線の廃止が決まった。新幹線の延伸に伴う並行在来線として「存続の価値なし」との判断だ。しかも新幹線の開通する2030年度を待たずに前倒しで廃止し、早々のバス転換へと進むとも報じられている。沿線の自治体へは「地域を救うかもしれない宝を失うことに気付いていますか?」と問いたい。貴重な観光資源としての価値は他の鉄道をはるかに上回る。残す手立てはもうないのか? ノスタルジックに存続を訴えるつもりはないが、二度と手に出来ない宝をみすみす手放してしまう事実をもう一度確認してみたい。
人気を感じた「山線の旅」
札幌から長万部までの「山線」。途中、小樽と倶知安で乗り継ぎ、待ち時間を入れて4時間弱の列車旅だ。
車窓から札幌の街並みが途絶えると山線のプロローグは海のパノラマからスタートする。張碓のダイナミックな海岸風景に、道外からの観光客と思しき大きなスーツケースを抱えた2グループが盛んにスマホのカメラを向ける。
小樽から先の山線は途中の倶知安を境に2つのセクターに分かれる。倶知安行きは2両編成のDECMO(愛称デコモ)と呼ばれる気動車H-100。ディーゼルエンジンで直接車輪を回すのではなく、エンジンで発電機を回し、その電気を使って走行する。言うなれば気動車と電車のハイブリッドになっている。
この先はおそらく空席が目立つ「ローカル列車の装いだろう」との予想は大きく外れて、2両とも座席は9割方埋まっていた。1両の座席定員は36名なので70人前後が乗っていたと見える。生活利用者も少なくないようだが、多くは旅行者、それも鉄道愛好家と見えて一眼レフを大事そうに抱えている。
これら鉄道ファンの目的はただひとつ、山線に乗りに来ているのだ。余市でも降車は生活利用と思える5名のみで、座席を埋める多くはその先へと向かう。オホーツク沿岸や釧路湿原を走る釧網線のように車窓に楽しみがあったりSL(蒸気機関車)が登場するわけでもない。雪深い山間を2両編成の小列車がトコトコと走るのみだ。
52年前にはシロクニと呼ばれたC62が牽く下り急行ニセコで通ったルート、SLブームは始まったばかりで、銀山や小沢はのどかな途中駅だった。これらの駅でも生活利用者が乗り降りし、山間の銀山は2名降車、小沢はゼロだったが、駅前にはパークアンドライドで使っている利用者のものと思しき乗用車が数台停まっていた。
最後のセクターである倶知安~長万部、ここは空席が目立つかと思いきや筆者の期待は嬉しい方に裏切られた。午後12時半頃だったが春休みが近いためだろう。ここからはH-100が単機、すなわち1両のみで座席も少ないところへ下校の高校生が加わった。倶知安までの“鉄ちゃん”と思しき集団と高校生で20名ほどが立ち席、ちょっとしたラッシュだ。
鉄道愛好家も最近は女性も多いのだが、何故かこの時はほとんどが男性。高校生らはおよそ40分立ち席を我慢して多くが蘭越で降車した。しかしニセコ、黒松内でも乗降が多く長万部まで空席は出なかった。車外に目を凝らすと、目名付近で列車の写真を撮るべく雪の中でカメラを構えていたファンがいた。
たった半日を切り取っただけでも山線は観光鉄道としての価値が十二分にあることが見て取れる。バス転換はこれら鉄道愛好家を全て失ってしまう。
求められる発想の転換
鉄路の価値を沿線人口の減少による予測値だけで測るべきではない、というのが筆者の持論だ。
生活上の移動手段としての鉄道は確かに維持費が高すぎて算盤が合わず、価値はすでに失われているとも言える。しかし観光、地域の魅力創造ツールとしての鉄道はすでに勘定はプラスになっていて、しかも時が経つほどその価値は増してゆく。
山線は海外から人を呼ぶことが出来る貴重性の高い資源であってお荷物ではないのだ。バスは移動手段に過ぎないが、乗ること自体が目的の鉄道は、リピーターの再生産が可能だ。利用は鉄道ファンに限らない。インバウンドへの調査によると個人旅行者の50・9%が移動に当たり鉄道を頼っており、バスの22・0%を大きく上回っている。(2016年外国人観光客動態調査)
沿線自治体としての方針は既に決まってしまっているが、存続の道は全くないだろうか。
これまで本欄の拙稿ではイギリスなどを例に挙げ、道内の鉄路を保存鉄道として残す道を示したことがある(本誌19年6月号)。
そのイギリスには歴史的価値などを理由に保存鉄道として存続している路線が120以上もある。どの路線もボランティアによる運営が基本で、中には保存鉄道になる前の営業鉄道よりも利便性を上げて地域の足となっている路線もあると聞く。
しかし、日本では特に安全に対する規制が厳格で、保存鉄道が実現したケースはこれまでない。しかも山線全体となると140キロもの長大路線で、世界各地にある保存鉄道の中でもこれだけの距離は例がない。
最も重要な存続に向けた費用については、開通120年にも及ぶ歴史価値と沿線の自然価値を梃子に世界に向けたクラウドファンディングに一部を頼りたい。
三セクにした場合の初期費用は152億円とされているだけに。山線の一部、小樽~倶知安間だけでも残すことは出来ないか。存続を模索して議論がスタートすることが肝心で、レールが残っていればSLの導入など新たな魅力創造も図ることが出来る。
アンヌプリと羊蹄山の間を抜け、目名峠などいくつもの急坂を過ごす山線は鉄道ファンのみならず、体感する人に四季を通して北海道の良さを焼き付け、ニセコなど国際的なリゾートをさらに彩るツールとなることは間違いない。
単に輸送機関としての便益のみに囚われず、資源としての存在価値を考慮すれば、おいそれとレールを失うわけにはいかない。
「山線」の維持を願っているのは、沿線自治体の利用者ばかりではないことを、関係各位にはもう一度思い返してもらいたい。
中添 眞
さる3月のある日、通称「山線」と呼ばれるJR函館本線の長万部~札幌間に乗車した。日頃鉄道愛好家を自任している私だが、この区間の通し乗車は52年ぶり。その山線の廃止が決まった。新幹線の延伸に伴う並行在来線として「存続の価値なし」との判断だ。しかも新幹線の開通する2030年度を待たずに前倒しで廃止し、早々のバス転換へと進むとも報じられている。沿線の自治体へは「地域を救うかもしれない宝を失うことに気付いていますか?」と問いたい。貴重な観光資源としての価値は他の鉄道をはるかに上回る。残す手立てはもうないのか? ノスタルジックに存続を訴えるつもりはないが、二度と手に出来ない宝をみすみす手放してしまう事実をもう一度確認してみたい。
人気を感じた「山線の旅」
札幌から長万部までの「山線」。途中、小樽と倶知安で乗り継ぎ、待ち時間を入れて4時間弱の列車旅だ。
車窓から札幌の街並みが途絶えると山線のプロローグは海のパノラマからスタートする。張碓のダイナミックな海岸風景に、道外からの観光客と思しき大きなスーツケースを抱えた2グループが盛んにスマホのカメラを向ける。
小樽から先の山線は途中の倶知安を境に2つのセクターに分かれる。倶知安行きは2両編成のDECMO(愛称デコモ)と呼ばれる気動車H-100。ディーゼルエンジンで直接車輪を回すのではなく、エンジンで発電機を回し、その電気を使って走行する。言うなれば気動車と電車のハイブリッドになっている。
この先はおそらく空席が目立つ「ローカル列車の装いだろう」との予想は大きく外れて、2両とも座席は9割方埋まっていた。1両の座席定員は36名なので70人前後が乗っていたと見える。生活利用者も少なくないようだが、多くは旅行者、それも鉄道愛好家と見えて一眼レフを大事そうに抱えている。
これら鉄道ファンの目的はただひとつ、山線に乗りに来ているのだ。余市でも降車は生活利用と思える5名のみで、座席を埋める多くはその先へと向かう。オホーツク沿岸や釧路湿原を走る釧網線のように車窓に楽しみがあったりSL(蒸気機関車)が登場するわけでもない。雪深い山間を2両編成の小列車がトコトコと走るのみだ。
52年前にはシロクニと呼ばれたC62が牽く下り急行ニセコで通ったルート、SLブームは始まったばかりで、銀山や小沢はのどかな途中駅だった。これらの駅でも生活利用者が乗り降りし、山間の銀山は2名降車、小沢はゼロだったが、駅前にはパークアンドライドで使っている利用者のものと思しき乗用車が数台停まっていた。
最後のセクターである倶知安~長万部、ここは空席が目立つかと思いきや筆者の期待は嬉しい方に裏切られた。午後12時半頃だったが春休みが近いためだろう。ここからはH-100が単機、すなわち1両のみで座席も少ないところへ下校の高校生が加わった。倶知安までの“鉄ちゃん”と思しき集団と高校生で20名ほどが立ち席、ちょっとしたラッシュだ。
鉄道愛好家も最近は女性も多いのだが、何故かこの時はほとんどが男性。高校生らはおよそ40分立ち席を我慢して多くが蘭越で降車した。しかしニセコ、黒松内でも乗降が多く長万部まで空席は出なかった。車外に目を凝らすと、目名付近で列車の写真を撮るべく雪の中でカメラを構えていたファンがいた。
たった半日を切り取っただけでも山線は観光鉄道としての価値が十二分にあることが見て取れる。バス転換はこれら鉄道愛好家を全て失ってしまう。
求められる発想の転換
鉄路の価値を沿線人口の減少による予測値だけで測るべきではない、というのが筆者の持論だ。
生活上の移動手段としての鉄道は確かに維持費が高すぎて算盤が合わず、価値はすでに失われているとも言える。しかし観光、地域の魅力創造ツールとしての鉄道はすでに勘定はプラスになっていて、しかも時が経つほどその価値は増してゆく。
山線は海外から人を呼ぶことが出来る貴重性の高い資源であってお荷物ではないのだ。バスは移動手段に過ぎないが、乗ること自体が目的の鉄道は、リピーターの再生産が可能だ。利用は鉄道ファンに限らない。インバウンドへの調査によると個人旅行者の50・9%が移動に当たり鉄道を頼っており、バスの22・0%を大きく上回っている。(2016年外国人観光客動態調査)
沿線自治体としての方針は既に決まってしまっているが、存続の道は全くないだろうか。
これまで本欄の拙稿ではイギリスなどを例に挙げ、道内の鉄路を保存鉄道として残す道を示したことがある(本誌19年6月号)。
そのイギリスには歴史的価値などを理由に保存鉄道として存続している路線が120以上もある。どの路線もボランティアによる運営が基本で、中には保存鉄道になる前の営業鉄道よりも利便性を上げて地域の足となっている路線もあると聞く。
しかし、日本では特に安全に対する規制が厳格で、保存鉄道が実現したケースはこれまでない。しかも山線全体となると140キロもの長大路線で、世界各地にある保存鉄道の中でもこれだけの距離は例がない。
最も重要な存続に向けた費用については、開通120年にも及ぶ歴史価値と沿線の自然価値を梃子に世界に向けたクラウドファンディングに一部を頼りたい。
三セクにした場合の初期費用は152億円とされているだけに。山線の一部、小樽~倶知安間だけでも残すことは出来ないか。存続を模索して議論がスタートすることが肝心で、レールが残っていればSLの導入など新たな魅力創造も図ることが出来る。
アンヌプリと羊蹄山の間を抜け、目名峠などいくつもの急坂を過ごす山線は鉄道ファンのみならず、体感する人に四季を通して北海道の良さを焼き付け、ニセコなど国際的なリゾートをさらに彩るツールとなることは間違いない。
単に輸送機関としての便益のみに囚われず、資源としての存在価値を考慮すれば、おいそれとレールを失うわけにはいかない。
「山線」の維持を願っているのは、沿線自治体の利用者ばかりではないことを、関係各位にはもう一度思い返してもらいたい。
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│編集長日記
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