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2021年08月29日

本誌公式ブログ特別掲載 くつした企画没ネタ供養シリーズ第2回「内臓おじさんとパンダ猿」(後篇)

本誌公式ブログ特別掲載 くつした企画没ネタ供養シリーズ第2回「内臓おじさんとパンダ猿」(後篇)
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 殊マスコットやゆるキャラとなると、流行りものの宿命なのかこの手のすれ違いは多い。少し前の話だが、公の場所でも同じようなことがあって落胆したことがある。札幌市を流れる川に架かるとある橋のたもとにある小さな公園での出来事だ。そこは車どおりの多い道路沿いなのに駐車場がなく、微妙に住宅街から離れているのに変に夜間照明が多くて安全、という絶妙な環境のせいか、いろいろなものに揺らぎが見られる公園で、ひそかなお気に入りの場所だった。

 万人の憩いの場か、鬱憤を抱えた者たちの屯する無法地帯か。壁に書きなぐられていた落書きが、その揺らぎというか迷いを良くあらわしていたように思う。

 まず、赤いスプレーで書かれていた『たま置ひろしとあんぜんちたい』という落書き。例えばこのアーティスト名が『頭脳警察』とかならば『ああ。そういう時代のそういうスタンスにあこがれているのね』という主張をみてとることができるが、こちらはどうにも社会に対して発信する意図が良く分からないチョイスだ。なぜ『置』だけが漢字なのかも良く分からない。お気に入りのコーヒー豆から人生訓に至るまで、人にはそれぞれ譲れないものがあるというが、この落書きの主の場合は『置』がそれにあたるのかもしれない。

 それから『悪いです』と黒い油性ペンのようなものでひょろりと書かれた落書きも味わい深い。現役入学した公立大学を卒業して順調に中堅商社に就職して中庸を旨に生きてきた30代そこそこのサラリーマンがこのままではいけないと一念発起し、同じような境遇の同僚とこれまで一度も耳にしたことすらないパンクロックのバンドを結成したデビューライブで開口一番にシャウトするとしっくり来るような居心地の悪さだ。

 そんな生暖かい反社会要素をはらむこの公園の中で一番とがっている存在だったのが、公園の中央に据えられた一体の『パンダ』だ。

 呼称が二重括弧付きであるのにはきちんとした理由がある。件の動物像は一種の遊具で、しがみついたり、ぶら下がったりして遊ぶことができるが広場の入り口に据えられていたことから察するに、本来は車両の進入を防ぐ車止めの意図があったのだと思う。高さは80センチほど、大人の腰ほどのサイズだった。コンクリートで作られており、白と黒で塗り分けられたまごうかたなき『パンダ』の像だ。

 しかし問題はその姿かたちにあった。まずポーズがおかしい。右手を頭の上に乗せ、左の掌で自分のあごをくすぐるような奇妙な姿勢、変にすらりとした体躯、そしてパンダのそれとは似ても似つかないフラットな顔と、長すぎる鼻と口との距離。

 そう。この『パンダ』は、どう見てもニホンザルだったのだ。パンダのカラーリングがなされた猿にしか見えないそれは、しかし誰にもそのことを指摘されることなく長くあの公園の主であり続けた。

 いつ、誰が、なぜニホンザルをパンダに塗り替えたのか。請け負った業者は疑問に思わなかったのか。依頼者は業者にどういう発注の仕方をしたのか。

「あの公園のサル、パンダにしてくれない?」

 これはもう『屏風に描かれた虎を捕らえよ』並みのゆかいなとんち合戦だ。そしてそもそも、この公園の設計者は何故ニホンザルなどという華のない動物を公園の中心部に据えようなどと考えたのだろうか。これらの謎をなんとしても明らかにしたいと考えてはいたのだが、残念ながらこの公園も取材前に大規模な改装工事が始まってしまい、今はこぎれいな地域住民の憩いの場と成り果ててしまった。いや、成り果てたというのも失礼な話だけれども。

 すでにうち捨てられたような場所にある省みられないようなものでも、失われるときは失われる。ノスタルジーは対象物が存在するうちに積極的に味わっておかないといけないものらしい。




Posted by 北方ジャーナル at 22:16│Comments(0)
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