2021年05月18日
北方ジャーナル6月号の誌面から ジャーナルズアイ「運行休止の果ての別れ 日高本線 鵡川─様似間116キロが廃線」
終着駅の様似駅で出発を待つ気動車。この姿はもう永遠に見られない
(2013年10月13日撮影)
今月号のグラビアでは4月1日をもって「鵡川─様似間116キロ」が廃線となったJR日高本線を取り上げた。高波被害を受けそのままとなっている曲がりくねった線路の様子など写真が伝える迫力を是非、実際の雑誌を手にとって確認してもらえれば幸いだ。(く)
高波被害を受けた線路(大狩部駅付近)
(2021年3月31日撮影)
日高本線の約8割にあたる鵡川─様似間116キロが4月1日に廃止された。
2015年1月の高波被害によって線路の土砂が流出したことに加え橋梁が損壊し、この区間の運行が休止。以後は列車代行バスに切り替わっていたため、最後の6年間は鉄路に列車が走ることなく廃線となった。1937年の苫小牧─様似全通(146・5キロ)から84年、コロナ禍とも重なり、沿線住民にとっては抑揚のない歴史的節目になった。
廃止前日の3月31日には、終着駅である様似駅に多くの鉄道ファンや地元の人たちが駆け付けた。駅舎の切符売り場では、記念乗車券や記念入場券を買い求める人が列をつくり、大阪から来たという男性は乗車券や入場券を大量に購入したといい、「友人から頼まれた分を含め数万円分買いました」と話した。駅舎の壁には、地元の子どもたちが書いた「鵡川」から「様似」まで25駅の色紙や在りし日の日高本線の情景写真が掲げられていた。
日高振興局が所在する浦河町の浦河駅には、南北を結ぶ跨線橋が架かっている。昭和の面影をぎっしりと詰め込んだこの跨線橋は、役場や行政機関が集まる南側へ通じる自由通路の役割も果たしている。廃線によって線路を跨ぐ必要はなくなるが、この跨線橋は現役を続ける。
海岸のすぐ近くにある秘境駅ともいえるのが、新冠郡新冠町字大狩部にある「大狩部駅」。この駅のすぐ西側には、高波被害を受けて曲がりくねった線路の姿がそのままの状態で残っている。そこには波の持つ破壊力に圧倒されるような光景が広がっていた。この日、日中は穏やかな春の日差しが降り注いでいたが、夕方近くには寒さを感じるようになり、駅の目の前の海は徐々に波が高くなっていった。時折り堤防を越えた波しぶきが曲がりくねった線路に降り注いでいた。
最終列車が走ることなく84年の歴史の幕はあっけなく降りた。運行休止期間の長さとコロナ禍によって、沿線住民が鉄道への思いを投影する機会が奪われた感は否めない。(文と写真・佐久間康介)
アポイ岳を望む様似駅
(2021年3月31日撮影)
浦河駅の跨線橋
(2021年3月31日撮影)
静内駅での列車交換
(2013年10月13日撮影)
曲がった線路に波しぶきが降り注ぐ
(2021年3月31日撮影)
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