2017年06月19日
北方ジャーナル7月号拾い読み
アメリカ・トランプ大統領の「パリ協定離脱」を皮肉った石川寿彦氏の巻頭漫画
北方ジャーナル7月号が6月15日に発売となり、ぼちぼち反響が編集部に届き始めた。まだ手に取っていない、あるいは本ブログ限定読者の皆さんに、少しばかり本号の中身を紹介したい。編集長の仕事のひとつは「番宣」だ。
まず私が書いた巻頭言欄を紹介しておきたい。その目的が誤記の訂正であることはさておいて。
「小さな命を」救う意義
奮闘する小児科医のドキュメンタリー番組を観ていて、自分の経験を思い出した。
7歳の時、私は札医大の和田寿郎医師による開胸手術を受けたことがある。詳細はともかく、全身麻酔が衝撃的だったこと、そして予後が大変だったことは今でも鮮明に覚えている。闇のシャッターがいきなり降りたような麻酔の効きめ。目が覚めて世界が戻ってきた時、視界の先には札幌テレビ塔の灯りと心配そうにのぞきこんでいる両親の顔があった。術後の体にはいくつもドレーンがつながれ、気管支に溜まった痰を吸い出す治療が辛かったことを昨日のように思い出す。
私の病室は、心臓を患う子どもたちであふれていた。あの時、和田先生は心臓血管外科(当時は胸部外科)の専門医であると同時に優れた小児科医でもあったのだと思う。
その後、和田先生は日本初の心臓移植を行ない、脚光とバッシングの中で表舞台から消えていった。数年前、先生が亡くなった時、「お別れの会」に参加する機会を得た私は、遺影の前でこみ上げてくる思いを抑えられなかった。
救う命は小さなものかもしれないが、その意義は大きい。これから伸びていくであろう若芽を折ることなく、次の世のために生かしていくことは、世界への大いなる貢献だからだ。
このような拙文なのだが、文中の「7歳」は「8歳」の間違いだった。まあ読者にとってはどうでもいいことなのだが。次回は誤記の訂正ではない「番宣」もアップしたいと思っている。 (く)
奮闘する小児科医のドキュメンタリー番組を観ていて、自分の経験を思い出した。
7歳の時、私は札医大の和田寿郎医師による開胸手術を受けたことがある。詳細はともかく、全身麻酔が衝撃的だったこと、そして予後が大変だったことは今でも鮮明に覚えている。闇のシャッターがいきなり降りたような麻酔の効きめ。目が覚めて世界が戻ってきた時、視界の先には札幌テレビ塔の灯りと心配そうにのぞきこんでいる両親の顔があった。術後の体にはいくつもドレーンがつながれ、気管支に溜まった痰を吸い出す治療が辛かったことを昨日のように思い出す。
私の病室は、心臓を患う子どもたちであふれていた。あの時、和田先生は心臓血管外科(当時は胸部外科)の専門医であると同時に優れた小児科医でもあったのだと思う。
その後、和田先生は日本初の心臓移植を行ない、脚光とバッシングの中で表舞台から消えていった。数年前、先生が亡くなった時、「お別れの会」に参加する機会を得た私は、遺影の前でこみ上げてくる思いを抑えられなかった。
救う命は小さなものかもしれないが、その意義は大きい。これから伸びていくであろう若芽を折ることなく、次の世のために生かしていくことは、世界への大いなる貢献だからだ。
このような拙文なのだが、文中の「7歳」は「8歳」の間違いだった。まあ読者にとってはどうでもいいことなのだが。次回は誤記の訂正ではない「番宣」もアップしたいと思っている。 (く)
Posted by 北方ジャーナル at 09:23│Comments(0)
│編集長日記
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