2009年07月01日
#.6 リトル・フィート「ディキシー・チキン」
いま蘇る、あのミュージシャン!
懐かしのRock
(フリーライター 七闇夢妖)
第6回 Little Feat『Dixie Chicken』
(※ 北方ジャーナル2004年10月号掲載記事)
懐かしのRock
(フリーライター 七闇夢妖)
第6回 Little Feat『Dixie Chicken』
(※ 北方ジャーナル2004年10月号掲載記事)
ヤク中ギタリストが遺した「ささやかな業績」
シングルはもちろん、アルバムでもヒットと呼べるほどのものはない。ロック界に大きな影響を与えたわけでもないが、好きなバンドをいくつか挙げろと言われれば、その名を思い出す。ロウエル・ジョージ(g)率いるリトル・フィートとはそんなバンドだ。
今や、フィーツの知名度はほとんどないと思われるが、それにしてはCDを入手しやすい。そこが「ミュージシャンズ・ミュージシャン」と呼ばれる所以で、プロの間では今もフィーツの人気は高いそうだ。「好きなミュージシャンが尊敬する人物として挙げていたので…」てな理由で聴いたファンも多いという。
実は筆者もその口で、かのレッド・ツェッペリンの連中が信奉していると耳にして聴き始めた。日本ではサザンオールスターズが彼らの熱心なファンだったらしく、サザンを入り口にファンとなった者が多々いるとの噂も一部にあるが、ホンマかいな。
マニアックなファンによって、廃盤にならない程度に聴き継がれている世界有数のマイナーバンド。その大黒柱であるロウエルは、死してさらに名声が高まる偉大なる奇才フランク・ザッパ率いる「マザー・オブ・インベンション」のメンバーだった。
ザッパといえば時代の先を行き過ぎた面はあるものの、音楽的な評価、そして数々のテクニシャンを世に紹介した功績によって、今や「変態音楽の大家」として神格化されている。しかし、意外にもドラッグには一切手を出さなかったそうで、そんな潔癖な完全主義者の天才ザッパにとって、ロウエルの麻薬依存症は我慢ならなかったようだ。
マザーズをクビにされたロウエルが、意気投合していたマザーズのメンバーらと69年頃に結成したのが「ささやかな業績」を意味するリトル・フィートで、グループ名の由来は一説によるとロウエルのアダ名であった「Little Feet=チビ足」だという。彼らはグループ名と同名のアルバムで71年にデビューするが、セールス的には〝撃沈〟に終わった。
アメリカ西海岸のヒップな連中と親交が厚かったロウエルのサウンドは、カントリーからフォーク、ブルースなど何でも取り込んだ独特なもので、泥臭い香りを漂わせながらも皮肉屋らしいヒネリとユーモアが随所に見られる。その辺りがプロから信奉を集めた理由だったのではないか。
72年に出されたセカンドが「セイリン・シューズ」である。ファンキー色を強めたサウンドは玄人ウケするが、セールス的にはやはり失敗。「ウィリン」など名曲をズラリと揃えながら売れなかったのはヒネリが強すぎたためか。
南部系サウンドを導入したサードの「ディキシー・チキン」(73年)は、これぞフィーツというべき名作で、入れ替わったリズム陣もタイトな快演を見せる。セールス的にはチョイ売れだったが、タイトル曲をはじめ聴き所は満載。高価なオーディオを持たない人は、ヘッドフォンを付けて細部までじっくり楽しむべし。
この後、フィーツは数枚のアルバムを発表してマニアを喜ばせるが、ロウエルが79年に急死しバンドは自然消滅する。残ったメンバーは8年のブランクを経て再結成し今に至るが、フィーツといえばやはりロウエル在籍時だろう。
それにしても、奇抜なアイディアを実現した彼らの演奏力はタダ者ではない。マザーズ出身者ならではのスゴ腕を堪能したいなら「ウェイティング・フォー・コロンブス」(78年)といったライヴ盤もオススメ。麻薬でヘロヘロになってもザッパの血を受けた連中は侮れない。「ささやかな業績」は、マニアの手によって今後も長く聴き継がれる。
※ この記事は、北方ジャーナル2004年10月号に掲載されたものです
ザッパといえば時代の先を行き過ぎた面はあるものの、音楽的な評価、そして数々のテクニシャンを世に紹介した功績によって、今や「変態音楽の大家」として神格化されている。しかし、意外にもドラッグには一切手を出さなかったそうで、そんな潔癖な完全主義者の天才ザッパにとって、ロウエルの麻薬依存症は我慢ならなかったようだ。
マザーズをクビにされたロウエルが、意気投合していたマザーズのメンバーらと69年頃に結成したのが「ささやかな業績」を意味するリトル・フィートで、グループ名の由来は一説によるとロウエルのアダ名であった「Little Feet=チビ足」だという。彼らはグループ名と同名のアルバムで71年にデビューするが、セールス的には〝撃沈〟に終わった。
アメリカ西海岸のヒップな連中と親交が厚かったロウエルのサウンドは、カントリーからフォーク、ブルースなど何でも取り込んだ独特なもので、泥臭い香りを漂わせながらも皮肉屋らしいヒネリとユーモアが随所に見られる。その辺りがプロから信奉を集めた理由だったのではないか。
72年に出されたセカンドが「セイリン・シューズ」である。ファンキー色を強めたサウンドは玄人ウケするが、セールス的にはやはり失敗。「ウィリン」など名曲をズラリと揃えながら売れなかったのはヒネリが強すぎたためか。
南部系サウンドを導入したサードの「ディキシー・チキン」(73年)は、これぞフィーツというべき名作で、入れ替わったリズム陣もタイトな快演を見せる。セールス的にはチョイ売れだったが、タイトル曲をはじめ聴き所は満載。高価なオーディオを持たない人は、ヘッドフォンを付けて細部までじっくり楽しむべし。
この後、フィーツは数枚のアルバムを発表してマニアを喜ばせるが、ロウエルが79年に急死しバンドは自然消滅する。残ったメンバーは8年のブランクを経て再結成し今に至るが、フィーツといえばやはりロウエル在籍時だろう。
それにしても、奇抜なアイディアを実現した彼らの演奏力はタダ者ではない。マザーズ出身者ならではのスゴ腕を堪能したいなら「ウェイティング・フォー・コロンブス」(78年)といったライヴ盤もオススメ。麻薬でヘロヘロになってもザッパの血を受けた連中は侮れない。「ささやかな業績」は、マニアの手によって今後も長く聴き継がれる。
※ この記事は、北方ジャーナル2004年10月号に掲載されたものです
Posted by 北方ジャーナル at 11:09│Comments(1)
│文化(文芸・アート・音楽)
この記事へのコメント
実際いますよ、サザンから入る人。私もですし(笑)
Posted by marao at 2009年07月13日 14:30
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