2007年12月21日
元スタッフ・工藤敏也君を悼む
諸般の事情(どんな事情やねん)で、一週間ほどブログの書き込みから遠ざかっていた。気がつけば、アクセス数が600を超える日が出たり(この程度で喜んでいる自分が可愛い)、ミートホープの関係で映像関係者から問い合わせがあったりと色々変化が出ている。記者たちも好き勝手やってる感じだ。
仕事と日常でネットを利用する機会は多いが、ホームページやブログの世界は奥が深い。ずっと見てきて、得たひとつの結論は「もったいぶっているサイトはダメだ」ということだ。
ニュースや案内サイト、H系サイト、または、どんなブログにしても「頻繁な更新。そして惜しみなくいきなりドカーンと直球勝負」(本ブログ管理人)のウェブが人気である。そういう意味では瞬間芸。写真や動画の使い方も含めて、色々工夫しがいがあるようだ。
デイリーとマンスリー、紙と電子空間。この行ったり来たりもナカナカに楽しい。何より関係者に「見てるヨ。意外と面白いね」などと言われると素直に嬉しい。単純である。
◆
ところで、今日はいささか個人的な事を記すことを許して欲しい。近年、月刊北方ジャーナルにかかわっていた元スタッフを追悼したいのだ。
その人は工藤敏也君(享年42)。詳細は伏せるが、私とは前発行会社時代からのつきあいで、一度辞め、Re studioになってからも働いてもらったことがある。
最近は、心身の不調を訴え、残念ながら1年半前に会社を辞めていた。まだ若いその彼の死を知ったのは約2カ月前。聞けば、07年3月に心筋梗塞で亡くなっていたという。
大きなクルマが好きで人なつこく、記事と営業に独特のセンスがあった彼のいきなりの死の知らせに驚いた。だが、色々な事情があって喪主や親族に連絡できず、どこに線香を上げに行っていいか分からない。どこかストンと落ちない思いを抱えていた昨今だった。
そんな中──
彼とは、あるスピリチュアルカウンセラーを一緒に取材したことがある。以前にも世話になっていたそうで、彼の人脈とご縁でユニークなインタビュー記事を掲載できたことを思い出した。
「そういえば、敏也がかかわっていたお一人だ。知らせておこう」と別件も含め某所を訪ねたのは、つい最近のことだ。
工藤敏也君の逝去を知って、そのスピリチュアルカウンセラーさん(女性)は一瞬、眉を曇らせたが、私が「どこにお線香を上げに行っていいか分からないのです」と言うと、
「ちょっと見てみますね」と顔を俯せた。
しばしの静寂の後で彼女は、顔を上げ、
「今はとても安らいでいらっしゃいます。お墓とか、お参りとか気にしないで欲しいと。それと自分はとにかく疲れていたんだと。そんな自分でも受け入れてくれる居場所を探す人生だったけど、見つけられなかったと」
そう言って私の目を見つめた。
私には霊的な能力もないし、死んでから先のことは、諸説あっても死んでから分かればいいというぐらいに思っている。だが、この時の彼女のコメントには素直に「敏也らしい」という感を抱いた。確かめる術もないが、私の胸に、いつの間にかストンと彼の死が落ちていた。
──そうか、お疲れさん。敏也。楽しかったよ。ところで「キャップ、俺は最終進化形。もう生まれ変わらなくっていいの」って言っていたけど、やっぱりその予定かい?
仕事と日常でネットを利用する機会は多いが、ホームページやブログの世界は奥が深い。ずっと見てきて、得たひとつの結論は「もったいぶっているサイトはダメだ」ということだ。
ニュースや案内サイト、H系サイト、または、どんなブログにしても「頻繁な更新。そして惜しみなくいきなりドカーンと直球勝負」(本ブログ管理人)のウェブが人気である。そういう意味では瞬間芸。写真や動画の使い方も含めて、色々工夫しがいがあるようだ。
デイリーとマンスリー、紙と電子空間。この行ったり来たりもナカナカに楽しい。何より関係者に「見てるヨ。意外と面白いね」などと言われると素直に嬉しい。単純である。
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ところで、今日はいささか個人的な事を記すことを許して欲しい。近年、月刊北方ジャーナルにかかわっていた元スタッフを追悼したいのだ。
その人は工藤敏也君(享年42)。詳細は伏せるが、私とは前発行会社時代からのつきあいで、一度辞め、Re studioになってからも働いてもらったことがある。
最近は、心身の不調を訴え、残念ながら1年半前に会社を辞めていた。まだ若いその彼の死を知ったのは約2カ月前。聞けば、07年3月に心筋梗塞で亡くなっていたという。
大きなクルマが好きで人なつこく、記事と営業に独特のセンスがあった彼のいきなりの死の知らせに驚いた。だが、色々な事情があって喪主や親族に連絡できず、どこに線香を上げに行っていいか分からない。どこかストンと落ちない思いを抱えていた昨今だった。
そんな中──
彼とは、あるスピリチュアルカウンセラーを一緒に取材したことがある。以前にも世話になっていたそうで、彼の人脈とご縁でユニークなインタビュー記事を掲載できたことを思い出した。
「そういえば、敏也がかかわっていたお一人だ。知らせておこう」と別件も含め某所を訪ねたのは、つい最近のことだ。
工藤敏也君の逝去を知って、そのスピリチュアルカウンセラーさん(女性)は一瞬、眉を曇らせたが、私が「どこにお線香を上げに行っていいか分からないのです」と言うと、
「ちょっと見てみますね」と顔を俯せた。
しばしの静寂の後で彼女は、顔を上げ、
「今はとても安らいでいらっしゃいます。お墓とか、お参りとか気にしないで欲しいと。それと自分はとにかく疲れていたんだと。そんな自分でも受け入れてくれる居場所を探す人生だったけど、見つけられなかったと」
そう言って私の目を見つめた。
私には霊的な能力もないし、死んでから先のことは、諸説あっても死んでから分かればいいというぐらいに思っている。だが、この時の彼女のコメントには素直に「敏也らしい」という感を抱いた。確かめる術もないが、私の胸に、いつの間にかストンと彼の死が落ちていた。
──そうか、お疲れさん。敏也。楽しかったよ。ところで「キャップ、俺は最終進化形。もう生まれ変わらなくっていいの」って言っていたけど、やっぱりその予定かい?
Posted by 北方ジャーナル at 09:33│Comments(0)
│編集長日記
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