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2007年12月17日

「北方ジャーナル」創刊号(1972)より「すすきのエンマ帖」

 過去の記事の一部を抜粋してお送りする「懐かしのジャーナル」コーナー。今回は創刊号より「すすきのエンマ帖」。数字や固有名詞は当時のものです。
 
「北方ジャーナル」創刊号(1972年4月号)より

 すすきのエンマ帖
 
 〝すすきの〟の
 ポスト・オリンピック

 
 》夜の人口十万人《

 POST―接頭語でAFTERの意。……のあとに―ということ。英語の勉強はさておいて、ポスト・オリンピックのススキノはどのように変化してゆくのか、そこにピントを合わせて話をすすめよう。
 まずススキノの所帯数は五千六百八十六(男三千五百七十六人・女四千六百七十二人)。これは、「薄野警察官派出所」の管轄である北は狸小路から南は九条通り、東は西一丁目から西は五丁目までのことで、西六丁目以西は「南三条警察官派出所」の管轄だから、ススキノの正確な人口とはいえない。しかし、「薄野」という区画は、開拓史の時代から人口百万の政令指定都市となる今でもないのである。とすると、この薄野交番なるものが管理している範囲をススキノとみるなら、正確な数である。
 さて、通称「ススキノ」といわれるなかに何軒の飲食料理店があるか、となるとこれまた難しい。風俗営業の許可を受けている店が三百八十一軒というのは分かるが、あとは中央保健所の管轄。ここにも「薄野」という区分はない。一応札幌駅から豊平、北は函館本線のところまでと、南は遠く石山、川沿までとなっており、その数七千三百四十九軒(札幌市全体では一万七十二軒という)。このなかからさきにいう「ススキノ」の軒数を割り出すのは至難のワザといえようが、昼間人口五千人から八千人。ネオン街で働く従業員二万人とすれば、薄野交番のいう二千八百軒、中央保健所のいう三千軒という数は一応信憑性はある。
 ちなみに、料飲客を含む夜の人口は一日平均十万人という。
 
 》ススキノ五月危機《

 問題はその十万人である。
 コンスタントに三千軒の店に十万人の客が分散されるなら〝ポスト・オリンピック〟のススキノとか、〝激動するススキノ〟などという言葉は生まれない。ところがである。この夜の人口はいまや五万、多くて七万人と中央署はいう。それを証明するかのように、同じ場所で十年目を迎えるおでんの「千景」のママ畑谷三枝子さんもいう。「本当に肌に感じるほど昨年の春あたりから、客足は目に見えて少なくなりました」と…。
 もう少し数字を見てみよう。
 昨年一年間で中央保健所に申請されている営業許可済みの新規開店が三千九百軒、更新が二千五百八十四軒。このうち廃業届けが二千百六十三軒。このほか中央署が風俗営業の店をあつかっているから、ススキノだけに当てはめてみると、一年間のうちに約八百三十軒が廃業・倒産・転売しているといえよう。「いや、その数字はもっと多いでしょう」というのは、「にれの木」の阿部誠二さん。ススキノはとくに変動が激しいから比例では割り切れないというのだ。札幌道税事務所課税部でも、新規開業と廃業の差は二百軒程度と見ている。
 さらに、これは昨年の数字。年末の決算が済み、三月をすぎればこの数はもっと多くなるという。とすれば、ススキノの五月危機説は成り立つわけだ。その原因を、ある人はドル・ショックによる一連の不景気風のあおりといい、ある人は交際費の節減という。理由はいろいろあろうが、ススキノは本当に不景気なのだろうか。
 
 》大衆の求めるもの《

「毎年いわれることで、不況というのはつくり出された言葉で、それほど変化はないですよ」というのは「志垣観光」の、志垣俊司さん。たしかにそれは毎年いわれてきたことだ。そのたびに「経営者がホステスに依存しすぎたためでホステスの給料がつり上がり、その相場はそのまま客への勘定書にもハネかえってしまうので客足が遠のいてしまった」と、ススキノの古い経営者はいうのだが…。
 ホステスにふりまわされ、人件費七十パーセントといわれるススキノの不健全性経営には気づいても、そこからぬけ出すための布石を打っているとは見られない。「自分の経験とカンだけで商売してきた人たちにとっては、いまが大変な勉強の時でしょうね」と、「クレイジーホース」の横田輝行さんはいったが、「北開ビル」の沼沢守さんもいうように「大衆が求めているものをキャッチする目と能力がなくては、このススキノの荒波は乗り切れない」のかもしれない。客の求めるホットなリビドーとボルテージの高いものを供給しなくてはお客はついてこない時代なのだろう。「ワールドサービス」の宮林栄市さんも「昔は企業努力さえすれば儲かった時代なんです。いまはその率が低下している。それがよけい不況と感じさせるんです」といいながらも、安くて楽しい店造りと、信頼感、結束力の不足を強調していた。
 さて、これからのススキノはどのように変化してゆくのか、その変わりゆくススキノの荒海で、上手にサーフィンをするにはどうすればよいのか、ポスト・オリンピックの波高しである。
 
 》生きのびる店《

 激動するススキノの起爆剤として第一にあげられるのは〝松坂屋進出〟といえよう。第二に地下鉄と地下街。「これによってススキノはどんどん西南方向に押しやられますし、その一部は北二十四条に発展すると思います。ススキノだけをみますと、松坂屋の進出ということで昼の顔がかなりはっきりしてきます」というのは拓銀薄野支店長の佃茂さん。
 社交ドクターといわれる日本社交資料新聞(東京)の安部安春さんは「水商売の形態は一般化というか大衆化された顔になり、アミューズメントセンターというような娯楽性の濃い形に移行してゆくでしょう」と指摘する。
 業界通といわれるY氏にいわせると、バー、クラブ、スナックとか、ナイトクラブ、キャバレー形態で、今後生きのびれる店は次ぎの様なところだという。
 第一に美人の絶対数が多い店でクラブより安いカウンターバー。一例をあげるなら、ぎるびい、エル、モンテローザ、再会、パブといったところ。
 第二にクラブでも安い店。鹿鳴館とかコスモヒル、バルコンドールのようなところ。
 第三に男女の触れ合いが容易なところ。ここにはジャンボなどのゴーゴースタイルの店とかキングスターのようなナイトクラブがあげられるだろう。
 第四は接待に使っても確実に効果のあがる店という。これはたしかに強い。札幌の名所的存在でもあるチカルなどその好例といえよう。Y氏はさらに続ける。「経営者がしっかりしているか、ママさんと女性二、三人で営業している間口の小さな店、逆に大資本でチェーン化をはかり低料金で奉仕しているクラブハイツのような店」だという。「それにワイセツ罪にひっかかるような店」を付け加えた。
 
 》かわるススキノ《

 しかし、バー、クラブ、キャバレーなどの業態は、過去五年間の推移をみてもわずか一・六倍の伸びなのに対し、ドライブインとかレストランで深夜喫茶、スナックなどを中心とするジャンルは四・五倍の成長で、その格差は歴然としている。
 すし屋の繁盛が、和風スナックとしての簡便性を買われているように、人手不足によるサービス低下をおぎなうためには、セルフ化されたスナックで深夜喫茶などが拡大されてくるだろう。
 このところに目をつけた「はせ川観光」の長谷川義一さんは、早くから〝ファースト・フード〟によるチェーン化をめざして着々と計画を進めている。「トライ・アンド・エラーの連続ですが、労働力の不足で地価高騰のこともありますし、生活慣習の変化にどのように対応してゆくかが、ススキノばかりでなく、これからの勝負どころでしょう」と長谷川さん。ススキノはいま大きく胎動しているのだ。華やかなネオンの下で、「もうこれまで……」と店を売り出すものもいれば、ホステス不在の営業に切り替えるやら、ススキノの業界はその体質改善を余儀なくされている。最後にもう一度氏の言葉を借りよう。「目先だけをみて手を打つというツー・ファースト(早すぎる)もいけないがツー・レイト(おそすぎる)もいけないのがススキノの特異性なんです。どのようにススキノが変わるかではなく、どのように変えなければならないのか、それは業界がじっくりと考えて欲しいですね……」
 (奇巌説) Σ

 【今月のすいせんコーナー】(1972年4月当時の情報です)

 全国初の会員制喫茶 『オオニシ』
 
 全国に会員制のクラブは数多しといえども、会員制の喫茶は札幌の「オオニシ」(札幌市狸小路四丁目大西ビル四階)ただひとつであろう。ゴージャスなボックス席でプライベートなロイヤルボックスなど、ちょっとした商談にはもってこいの場所。会員でなくても自由に利用できるから、彼女とのデートの場所にでもすれば、ちょっと豪華な気分が味わえる。階下は薬局だけに、生ジュースを始めとして、美容食、スタミナ食の豊富なメニューもそろっている。コーヒーはストロングコーヒー、ソフトコーヒーともに300円。入会金は個人で一万円、個人で三万円となっている。営業時間は午前九時から午後九時まで。



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 昭和47年(1972年)創刊。生活者の視点と取材を重視する編集方針を創刊以来のポリシーとし、05年11月からは有限会社Re Studio(リ・スタジオ)が発行。道内有名書店などで毎月15日前後に発売。購読の申し込みや問い合わせ、情報提供などはサイドバーにある「編集部へメッセージ」からどうぞ。
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