2007年11月07日
「小沢辞任撤回会見」に思う
小沢が「辞任会見」で「私の進退を党執行部の皆さんに預けました」と発言した時、「おや」と思った。要は、場合によっては辞めないこともあり得るという物言いに思えたからだ。
果たして、この時の疑問は、現実のものになった。現在の民主党のありようが小沢抜きで考えられないことや、参院選で有権者に負託を受けた事情を踏まえれば、いま彼の「代表辞任」という選択はあり得ない。党幹部が慌てたのも無理はない。情報が十分に行き渡らないなかで、民主は“下から上まで”よってたかって「辞めないで」コールを小沢に浴びせかけた。
結果、小沢は「恥を晒すようだが」と言いながら辞任表明を撤回し、表舞台にとどまることになった。
この顛末には案の定、「結局ただのパフォーマンスだったのか」「無責任な行動だ」などと非難が集まりだしている。確かにそういう誹りは免れない面はあろう。だが、今回の出来事は、単に小沢一人の問題として片づけられない側面がいろいろとある。
そのひとつが、自民サイドから持ちかけられた今回のトップ会談自体が、怪しさを含んでいる点だ。現在の政権人脈は小沢にとっても遠い存在ではない。そこにつけこんで彼を呼びつけ、ゆさぶりをかける意志が働いたことは想像に難くない。
連立政権? 政策協議? 確かにそんな言葉やニュアンスは福田から出たかもしれない。だが、今回の“プロデューサー”の真の狙いは別のところにあったのではないか。
それは現実主義者の小沢を抱き込むことで、民主党にくさびを打ち込むためではなかったか。小沢以外100%呑めない選択肢を示して内部分裂を生じさせ、ついでに有権者の民主に対する失望を誘導する──。
2人の会談が結局物別れに終わった後、読売が「会談は小沢から持ちかけた」という報道を流した時、私のこの推測は、ほとんど確信に近いものになった。
12月号の編集作業がヤマを越え、小沢の「撤回会見」をテレビで観ていたら、そんな思いが去来した。いつものように「事実は小説よりも奇」なはずである──。
果たして、この時の疑問は、現実のものになった。現在の民主党のありようが小沢抜きで考えられないことや、参院選で有権者に負託を受けた事情を踏まえれば、いま彼の「代表辞任」という選択はあり得ない。党幹部が慌てたのも無理はない。情報が十分に行き渡らないなかで、民主は“下から上まで”よってたかって「辞めないで」コールを小沢に浴びせかけた。
結果、小沢は「恥を晒すようだが」と言いながら辞任表明を撤回し、表舞台にとどまることになった。
この顛末には案の定、「結局ただのパフォーマンスだったのか」「無責任な行動だ」などと非難が集まりだしている。確かにそういう誹りは免れない面はあろう。だが、今回の出来事は、単に小沢一人の問題として片づけられない側面がいろいろとある。
そのひとつが、自民サイドから持ちかけられた今回のトップ会談自体が、怪しさを含んでいる点だ。現在の政権人脈は小沢にとっても遠い存在ではない。そこにつけこんで彼を呼びつけ、ゆさぶりをかける意志が働いたことは想像に難くない。
連立政権? 政策協議? 確かにそんな言葉やニュアンスは福田から出たかもしれない。だが、今回の“プロデューサー”の真の狙いは別のところにあったのではないか。
それは現実主義者の小沢を抱き込むことで、民主党にくさびを打ち込むためではなかったか。小沢以外100%呑めない選択肢を示して内部分裂を生じさせ、ついでに有権者の民主に対する失望を誘導する──。
2人の会談が結局物別れに終わった後、読売が「会談は小沢から持ちかけた」という報道を流した時、私のこの推測は、ほとんど確信に近いものになった。
12月号の編集作業がヤマを越え、小沢の「撤回会見」をテレビで観ていたら、そんな思いが去来した。いつものように「事実は小説よりも奇」なはずである──。
Posted by 北方ジャーナル at 21:00│Comments(2)
│編集長日記
この記事へのコメント
Journal 様
はじめまして。
でもま坂
報道がやらせ た?
はじめまして。
でもま坂
報道がやらせ た?
Posted by 元気でカイロ!! at 2007年11月07日 22:10
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。