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月刊誌「北方ジャーナル」公式ブログ › 北見「小泉、武部時代の終焉」メモ(その1)

2009年08月16日

北見「小泉、武部時代の終焉」メモ(その1)



(8月14日、北見市民会館で収録。とても聞き取りにくくて判別できなかったので、一部の固有名詞で変更あり。詳しい情報は「フォーラム神保町」のサイトをご覧下さい)


・会見内容はこちら

 司会(鳥越) それでは「フォーラム神保町 in 北見」を開催させていただきます。今日のテーマは驚くなかれ「小泉、武部時代の終焉」ということであります。私はあの、関係者に頼まれまして、今日は司会をすることになりました。よろしくお願いします。
 えー小泉純一郎が郵政民営化を花道に退いたのち、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と続いた自公連立政権は、小泉構造改革の「負の側面」が露わになるにつれて、次第にその意志は消極的となり、それはやがて修正から否定へと移っていった。しかしその結果、ますます国民国家の枠は強化され、従って官僚の力を質的に強める方向を伴っていたと言える。
 田中政治とは1940年体制を解体することを目指し、構造改革を進めたとされる小泉政権にしても、結局裏ではむしろ官僚制度を復活させ、官僚の支配力を強めることになった。2005年の小泉、武部が仕掛けた構造改革の真実は何だったのか。今こそこの真相を検証し、大いに議論をいたします。この北見の大地から。
 それではこの後、コーディネーターの佐藤優さんにお願いします。よろしくお願いします。
 
 佐藤 作家で、元外務省の主任分析官を務めておりました、前科1犯の佐藤優です。
 あの今日は本当に、お盆で大変に忙しい中、しかも、今日お祭りあるんですか?
 
 司会 「ぼんぼんまつり」って祭りやってるんです。
 
 佐藤 いや、本当に皆さん、こちらの方に来ていただいてありがとうございます。ですから今日も、非常にこう、有意義な別のお祭りにしたいと思っております。
 そして私たち「フォーラム神保町」という、作家を中心とする有志の勉強会をやってるんです。もう百何回も勉強会をやりまして、今の日本の様子はどういう風になってるのか、世界の様子はどういう風になってるのか。あるいは日本人の知的な力を強化していくには何が出来るかということを、一生懸命やってる。ただ、今日の会場も無料だということで、時々みんなから聞かれるんですね。「何か、後ろにスポンサーが付いてるんですか」って。あるいは「こういうことをやると、何か金儲けになるんですか」って。全く金儲けになっておりません。我々、自分たちの身銭を切ってるんです。
 それから会社とか、あるいは出版社なんかでですね、お金出してくれるよというところはあるんですけども、個人のお金以外一切いただきません。こういった形でお断りしてます。なぜならば、カネを出して口を出さないなんて組織は、ないからです。行政のお金ももらってません。それですから、完全に自由な立場で私たちやってるんですけども、今回、日本の政治全体を見るときに、実はこの北見に、どうしても来ないといけないと。こう思う理由がいくつかあったんです。その辺についてですね、まず宮崎学さん、そしてそれから平野貞夫さんに話してもらいたいなと思います。それでは宮崎さんお願いします。

 宮崎 はい。あのう実は、今日の勉強会のテーマの「小泉、武部時代の終焉」というテーマはですね、考えたのは私であります。で、突然テーマを考えろと言われて、5分以内に返答せえと言われてつけたタイトルでございますので、まあ、そういう風なことの繰り返しをやってるわけでありますけれども。
 
 佐藤 それぐらい深く、頭の中に入っていたと。すぐに「小泉、武部時代の終焉」だ、と出てきたということですね。
 
 宮崎 というよりもですね、やっぱり小泉、武部時代のあのポピュリズムの吹き荒れた嵐にですね、抵抗できなかったという忸怩たる思いを持っておるからであります。一体、なぜ抵抗できなかったんだろう。それがずーっとこの間、抱えている私のテーマでありまして、まあそういうことから、やはりこの「フォーラム神保町」が北海道に来て、5日目になるわけですか。5日目ですね。特に小泉政権について考えるにあたって、自分が何もできなかったということと同時にこれを考えているもんですから、最後はやはり北見で、これを終止符を打ちたいと。自分自身も終止符を打ちたいし、小泉、武部さんにも終止符を打ちたいという強い思いがあって、参りました。
 それでまあ、要するに、物事には言うまでもなく、原因があれば結果があるわけでありまして、いま結果として日本が陥ってる状況、とりわけ北海道が陥ってる状況というのは、原因があるから今の状況があるわけですから、その原因を私は小泉、武部路線だったという風に考えるわけでありまして、この原因を考えることなくしてですね、今言われているような、21世紀臨調が行なっているような、マニフェストの比較検討などというですね、ピント外れのことを繰り返している状況、これはメディアの状況の反映でもあるんですけれども、ではなくですね、一体あの小泉の、武部の時代とは一体何だったのか。我々はなぜそれに対抗できなかったのかということをですね、やはりこの際ここで検討していきたいと考えています。

 で、この小泉の旋風が吹き荒れていた時にですね、私と平野さんはよく電話で話を聞きました。一体これは何なんだろうかと。この国の国民がこれだけ盛り上がっていく状況っていうのは、一体何なんだろうかという話だと思います。結論を得られないまま、今に至るわけですけれども、その都度、やはり今の政党政治が明らかに自壊しつつあるといったこととか、いうようなことは二人でよく話してきたと思います。
 それで、最後に僕はいま、小泉、武部のポピュリズムに抵抗できなかったことに対する忸怩たる思いということで申し上げたわけですけれども、実はその、私と平野さんは敵対した関係があるんですね。99年の通信傍受法、盗聴法の時に敵対した関係があるんですが、その時は見事にやられるんですな私は。でも、敵対してやられていい相手と、どうしても許せない相手というのがいる。つまり、いい敵対者と悪い敵対者がいる。平野さんの場合は、なるほど、と、負けても納得できる相手だ。しかしながら、小泉、武部っていうのは、なぜ負けたかもわからない。どうしても、彼らには負けたことが事実、でしょう。しかしながら、どうしても納得ができないということでもあります。これが、今日はそういうところから話していきたいと思うんですが、平野さんはどういう風に考えておられますか。
 
 平野 皆さんこんばんは。私あの、押し掛けてここに来たんですが、非常に高い次元の動機と、もの凄い低次元の動機がありまして、簡単にその二つ、お話したいと思いますが。
 高い次元の、っていうのは、私、高知の生まれであります。私の母のおじいさんは明治27年に高知農業高校を出て、この、北見に来る北光社に参加したかったんです。ところがまあ、親が許さなくてですね、高知に残ったわけでございますが。
 実は、自由民権運動が腐敗します。自由党が議会作って。それで腐敗して、高知に残った連中がずーっと自由民主党、今の自由民主党になるわけなんですよ。私も自由民主党入ってたんですけどねある時期。でクリスチャンの、本当に真面目な人たちが北光社という会社を作ってですね、坂本龍馬の遺言で、北の光、北極星ですね、ここにその、日本の国の頭脳があるんだと。元があるんだと。ここを良くすることが、ここを開発することが、日本を良くすることだということで、この北見というのは始まった場所でございまして、わたくし40年ぐらい昔、衆議院で災害対策の仕事をやった時に、冷害が昭和40年代の初めにあったんですが、その時に調査に来た、40年ぶりに参りました。
 ぜひその、北の聖地として、北見をですね、日本のこれからの、人々のための、幸せのために、政権にしがみつく人たちをですね、この北見からやっぱり、断絶して欲しいというそういう思いがひとつと。

 それから私、実は、小泉さんが郵政解散をやった直後、テレビ朝日の「朝までテレビ」っていう、田原さんの番組に出されまして、わたくしその時はもう、参議院議員引退してましたんですけども、まあ「小泉政権をどう思いますか」という質問にコメントを求められた時に、「一度病院に行って、よく診てもらった方がいいんじゃないか」と。それ言いましたら大騒ぎになりましてね、生テレビなもんですからね。
 
 佐藤 なんで大問題なんですか。大問題になるのは事実無根のことを言った場合か、ほんとうの事を言った場合なんですけども、どっちだったんですかねえ。
 
 平野 それがですねえ、小泉派の山本何とかという参議院議員がいるでしょう。
 
 佐藤 山本一太さん。
 
 平野 一太。それから評論家たちがですねえ、わたくしは精神病院って言ったんじゃないんですよ。あの、普通の病院だと言ったんですよ。それを彼らは勝手に精神病院だと判断しましてですねえ、それで次の日、私の事務所のファックスにですね、いろんなとこからですねえ、「あなたの言ってくれた情報は実はこうこうです」といったですねえ、情報がいっぱい寄せられたんですがねえ。
 それから私が引退する平成16年、最後の国会質問、予算委員会で、テレビ入りでですね、インターネットのメールを使ってですね、なぜ小泉さんがロンドンに留学したかということをやって、非常に評判悪くなってですね、思い出があるんですが。
 
 佐藤 なぜ留学したんですかロンドンに。
 
 平野 これはあの、各論でやりましょう。最初から言うと何ですから。
 
 佐藤 なんか、凄くきな臭いというか。恥ずかしいような話で。
 
 平野 いやこれは、犯罪に関わるような話じゃないですかね。
 
 佐藤 わかりました。
 
 平野 それで、私と愛と憎しみの、アンビバレントな関係にある、京都の引退した野中広務さんからですね、「小泉が一番嫌がる質問する人間は、平野、あんただな。絶対引退するな」と言われてですね、「それじゃこの次選挙出るときに、カネ出してくれるか」と言ったら、ニヤニヤしてましたんですがね。まあそんなことで、鈴木宗男さんの問題も佐藤さんの問題も、それ以降、小沢一郎の秘書逮捕に至る流れの中でですね、やはり政権が、政権にしがみついて生きるためにですね、その何をやったかということをまあ、ここで話題にしていただければありがたいと思ってます。以上でございます。
 
 佐藤 そこであの、香山さん。まさに病院の関係の方は大変な専門家なわけですが、この小泉。
 
 香山 「精神科に行って診てもらったらいかがですか」というのが差別発言というのは、もう既に差別というか、偏見ですよね。健康に気を遣ってね、勧めたのかも知れないし。
 
 佐藤 そこで、小泉さんに関しては、まあいろんな議論があって、見ていただいたのとほぼ同じような結果になっていると。TKBさんという方はどうなんですかね、ここのところで行くと。専門家から見られて。
 
 香山 たぶんですね、私、精神科医という仕事してるんですけどね、私、この中で唯一北海道出身の人間で、今も実家は小樽にあるんですよ。両親が住んで、弟が札幌に住んでますけどもね。で、北海道に中学まで。高校と大学の時は東京にいたんですけど、その後また実は北海道に戻ってきて、北海道の中の病院に7、8年いて、94年ぐらいにまた埼玉県の方に来てしまって。そういう意味で、一度北海道できちんと仕事をしようと思って来たのに、途中で、まあ逃げたわけではないんですけどもね、あのう、まあ離れてしまって。宮崎さんが「忸怩たる思い」という話をしてましたけども、まあ別に責任を感じているわけではないんですが、しばらくして、いろんなことが北海道から聞こえてきて。
 私自身は、いわゆる「愛なんとか心」というのが乏しい人間で、愛国心とかですね、なんかそういう、自分はたまたまね、日本に生まれたり、たまたま北海道に生まれただけなのに、別に北海道とかがね、他より素晴らしいというのは、なんか凄く傲慢な気がして。じゃあたまたま鳥取に生まれた人は「ここが日本で一番素晴らしい」というのは、たまたまな気がしてね、嫌だったんですけどもね。でもさすがにですね、まあ半世紀近く生きてきたもんですからね、またこう最近は北海道のことも考えたりして。そういう意味では、いくらかは責任を感じて今日来たんですけどね。
 前置きが長くなったんですけどね、「私、精神科医です」って名乗ると、人の反応ってのは面白くて、大体、TKBさんの反応というのは予想がつくんですよ。それはですね、「ああ、あなた精神科医ですか。今度、俺も一度診てもらわなきゃいけないな」ってね、言う人よくいるんですよね。これはね、どういうことかと言うと、防衛してるんですよ。つまり、さっき平野さん言ったように、「精神科医です」と私が言うと、なんかその、見透かされているんじゃないかとか、なんか自分の欠点とか弱点とか、まずい点を言われるんじゃないかっていう恐れがある人が、自らね、最初にまず自分から「いつかお世話になるかも知れません」とかね、「診てもらわなきゃいけないな」っておっしゃるんですよ。男の方ですね。大体、地位のある方ですよ。
 それはどういうことかと言うと、そうやって言われたらね、こっちはどう答えるかと言うと、「いやいや、そんなあなたはそんな必要ありませんよ」とかね、「あなたは全く、来るような方ではありません」っていう言葉が欲しいわけなんですね。そこで「いつかお世話になるかも知れません」と言われてね、こちらでも「じゃあ明日来た方がいいですね」とかね、言うとその方もびっくりすると思うんですけども、そういう意味でまず、凄く実はね、不安とか怯えとか、なんかバレたらどうしようとか、痛いところを突かれたらどうしようという気持ちはありつつ、それを割とこういうね、なんか豪快そうな立ち居振る舞いとか、まあ先手を打って、そうやって「診てもらわないと」みたいなことを言って、不安とか小さなハートを、大きな鎧で隠しているような感じなのかなと思いますよね。
 
 佐藤 わかりました。というと、小心者ということですね?
 
 香山 …どうなんでしょうかねえ。一応、直接話したことないんで。わかんないですけど。
 
 佐藤 一度、病院の案内を送っておいた方がいいかもわかんないね(笑)。
 さて魚住さん、宮崎さんからポピュリズムという話があったんですけども、これ、何となく口にすること、耳にすることがみんな多いんですけども、ポピュリズムと民主主義って、どう違うんですか。ポピュリズムって、国民の意見に根ざしてるから、それでいいもんなのかなと思ったんですけども、どうもそうでもないと。民主主義に反するものだという意見もあると。この辺その、ポピュリズムというものには、ジャーナリズムが一番大きな役割を果たすと思うんですが、魚住さんどう考えればいいでしょうか。
 
 魚住 難しい話で、僕には答えられないんですけども。あのう、民主主義にはポピュリズムが付き物だと思うんですね。ただ、それをきちんとメディアがですね、情報を伝えていればですね、民主主義が悪いポピュリズムに走らないで済むと思うんですが、ここはやっぱり、十数年メディアの状況を見ていまして、やっぱりあの、ひどかったですね。本当にあの、例えばわたくしあの、熊本県の八代というところの出身なんですが、一年に1、2回郷里に帰るとですね、どんどんどんどん疲弊していくのが目に見えてわかるんですね。
 ところが小泉政権の真っ最中の時にですね、東京のメディアなんかを見てるとですね、小泉純一郎、武部バンザイなんですね。それに竹中平蔵。この人達の考え方が、メディアの人たちの中にもの凄く浸透していて、批判をしないわけです。
 で、地方の人間は、自分たちの肌身に感じて、どんなに追いつめられているかということは皆わかっているのに、実は東京のメディアが一番わかってない。だから、あの何て言うんですか、小泉政権、4年前のあの選挙ですけども、ああいう郵政民営化などという、非常にくだらないことがですね、争点になって、それで自民党が圧勝してしまうというような状況になってしまっている。僕はだから4年前の自民党圧勝の時の選挙というのは、忘れられないですね。ああ、ここまで日本のメディアというのはひどくなったのかという思いが強くて、4年経ってようやくそれが終わりかけている、たぶん終わるであろう。たぶんTKBさんも落ちる、いや、それはよくわかりませんが。
 あのう、だから8月31日っていうのは、僕は本当に心待ちにしております。別に民主党がいいと思ってるわけではありません。やっぱり政権が交代するとですね、それまで政権与党の内部、あるいは官僚機構の内部でですね、どんなにひどいことが行なわれていたかということが、明るみに出てくるチャンスが生まれてくるんですね。僕らはジャーナリズムの世界にいますから、政権交代っていうのは、本当に情報公開のチャンスなんです。政権交代によって隠されていた情報が出てくることによって、ようやく日本が少しましなものになるんじゃないかなという風に、僕はいま考えてます。以上です。
 
 佐藤 あのう、やはりちょっと汚い例えですけどね、腸に宿便というのがついてるじゃないですか。あれ、断食かなんかしないと出てこないんですよね。この辺にこう固まって、もの凄い汚いウンコが、今までの自民党政権と官僚の癒着の中であるんですよ。私も官僚機構の中にいましたからですね、どれくらい汚いウンコ付いてるかって、よく知ってるわけ。
 例えば外務省はね、「便供」という略語があるんです。これ「便宜供与」って言います。便宜供与で、人間の位を分けてるんですよ。AA、BB、CC、DD、TT、TTXXって、それで人間を全部区別できるんです。それでどれくらいのサービスをするかっていうのが、決まってるんですね。
 それで、武部さんが行かれるとたぶん、BBだと思うんです。AAというのが内閣総理大臣ですから、その次ぐらいに偉い人なんです。皆さんが行かれるとですね、国会議員の関係なんかで行った場合は、それはTTですね。「連絡だけしておきますけど何もしない」。それでこういった便宜供与電というものがあって、我々は何をするか。例えば、あまり詳しくは言えません。下品な話は嫌いですから。
 1990年の、11月のことです。自民党の代表団が(ロシアに)来るんですね。その時に、大使館としては自民党の代表団との関係を非常によくしたいということで、私に命令が来るわけなんですよ。ロシアです、モスクワです。いかがわしいお金が来てですね、いかがわしい場所に連れて行け、というんです。それで、モスクワの北の方にコスモスホテルというのがあって、それでそこの地下に、サリュートっていう、ソランチっていう、バーがあるんです。金髪の女性が沢山いて。そういうところで、日露友好にハッスルされる先生が沢山いるわけなんですね。そしてその日露友好にハッスルされたっていう記録を、外務省は電報にして送るわけですよ。それで、投資。その国会議員が偉くなったら、「先生、1990年の11月、私モスクワにいたんですよ。ハッスルされましたねえ。倫理に時効はありません」。あとは「外務省、よろしくお願いします」と。こんな感じなんですね。
 ですから、一部の国会議員の先生達はですね、「佐藤さん、あの知ってる話を札幌駅前でやったらいいじゃないか」とか、どこの駅前でやったらいいじゃないかという話があるんですが、こういう下品なことは、公言しない。しかしこういう記録は全部ありますから、宿便は全部出しちゃった方がいいと思うんです。今回の政権交代によって。
 ちなみに鈴木宗男さんは、何で堂々とできるかって言うと、そういう弱みがないんですよ。大きな野心を抱いてる人は、つまんないことしないんです。ですからあのときに、7年前のあの嵐の中で、鈴木さんにもしロシアとの金髪娘との話があったら、これくらいの話がこれくらいになって、出てるはずなんです。ないところからはさすが外務官僚がつくろうとしても、なかなか流れてないんですね。恐ろしい会社ですよ外務省っていうのは。それは中にいて、直接やってた私が言うわけですから。
 ついでにもう少し言うとですね、新聞記者の裏金をつくるための偽造領収書をつくったりという仕事も、私けっこうやりました。これは原田親仁さんていう、今のチェコ大使ですね、この人がモスクワの参事官でいるときに、やれと言われたんですよ。
 ただ、私も感覚が麻痺してた。エンバシーオブジャパンという、その紙の右下に判子を押して、みんなその偽造で使ってるんですよ。そこで、自分がカネ抜いて使ってるわけじゃないから、記者達は会社騙してカネ作ってるわけでしょ、そういうことをやっても構わないんだということでやってた。これは本当に、申し訳なく思ってるんですよ。その一点で私はやっぱり、檻の中に入って当然だったんだなとこう思うんですけども(笑)。しかし私一人だけじゃ寂しいと。だから原田さんには入って欲しいと思うし、その当時、私に命令した人たちみんなでもう一回、一緒に(牢屋に)行きたいなと。そのためにも「宿便」を出せば、全部その辺明らかになると思うんですね。
 それで、政官の癒着であるとか、政官業のこの腐敗した状況については、ご自身も若干の当事者であり、深いところも知ってるのが平野先生だと思うんですね。この辺の構造、それからその中で、小泉、武部政治になって、果たして日本はきれいになったのか、何か改革されたのかということについて、忌憚ないところを教えていただきたいんです。
 
 平野 はい! 率直に申しましてですね、わたくしは33年間、衆議院の事務局の仕事をやって、12年間参議院議員やって、70前に「もうこんな永田町なんていう、石牢なんかにはおれん」と思って引退したんですが、ちょうど60年安保の頃でございました。だんだん野党が政権取りたくないと、政権に付きたくないという時代だったんですが、米ソ冷戦という構造の中でですね、わたくし懺悔いたしますと、一言でいえば、わたくしのやってきた仕事は、政治家を堕落させる仕事をやっておりました。
 
 佐藤 それはそういうプロでしたから。
 
 平野 税金を使ってですね、職務としてやったわけですが、外務省の方達には大変お世話になりました。
 あのう、国内でですね、わたくしが議長の秘書とか副議長の秘書という、かなりヤバイ仕事をやっておりましたので、国内で野党対策としてですね、料亭とかそういったところで、いかがわしいこととか、あのう、賭け麻雀とかをできなくなりましてね、これは当たり前のことですが。それで昭和40年代の後半からですね、外国でそれをやるようなアイディアを出しましてですね、大変海外旅行費が増えたことがございます。それで、外務省の機密費もその頃大変増えましてですね。
 
 佐藤 あのう、機密費っていうのは、あれ外務省で一回もらったあと、官邸に上納するっていうことを、前ロシア大使だった丹波實さん、北海道出身の人が「内緒だよ」と言って、私に2、3回ぐらい教えてもらいましたけども。
 
 平野 これは内緒でなくて、堂々とやってましてね。昭和41年から始まるんですよ。椎名外務大臣、福田赳夫大蔵大臣、大蔵省の主計局の主査が、わたくしの仲間の藤井裕久。要するに内閣官房費を倍にし、外務省機密費も倍以上にして、その条件として総理の外交にカネがかかるから、定型的に上納するという仕組みが、昭和41年からできるんですね。
 
 佐藤 途中からうまくODAに紛れ込ませるという、そういった技があるという話を私は先輩から聞きました。
 
 平野 それから、各省庁の庁費というのがございますね。あれの流用を大蔵省が全部オッケーするんですよね。そんなことで、とにかく税金を使ってですね、大変なことが我が国では、55年体制では行なわれていたわけです。
 
 佐藤 そうするとあの霞ヶ関っていうのはなんか、組織犯罪かなんかやってるような団体のように聞こえますね。
 
 平野 国家犯罪を、国家がやってたわけなんですね。
 
 佐藤 それ、誰が取り締まるんですか。
 
 平野 いやこれはね、本当は国会で問題にしなきゃ駄目なんですよ。
 
 佐藤 あっ、でも大丈夫だ。検察庁という正義の味方の組織があるから、そういうことは全然心配ないわけですね。みんな捕まりましたし、私も捕まりましたし。
 
 平野 これですね、本当にあのう、大事なことですね。私、ある時期にこれは公開すべきことだと思ってます。
 
 佐藤 わかりました。ところで宮崎さん、この間のところの本当の問題ですね。いま権力が変われば、宿便は全部出てくるわけですし、文書が出てくるか、あるいは文書を隠滅したということが出てくるはずなんですが、本当の問題は何であるかというところに焦点が当たらずに、マニフェストっていう。あの話ばっかりで、なんか点数つけたりだとかいう風になってるんですが、あのマニフェストって何なんですか。それで、何であんなことが問題になってるんですかね。
 
 宮崎 だから、「マニフェスト選挙」という風に今回言われてるわけですよね。前回は「郵政民営化選挙」という風だったわけですけども。このネーミング自体が非常に意図的なもんだろうと思いますね。
 今回の選挙がはっきりしてるのは、政権をどちらにゆだねるべきか、この争いなんですよ、本質は。そうじゃないと、政治権力の問題をどうするかというのがテーマの筈なんだけども、そのマニフェスト選挙みたいな形で、絵に描いた餅の色合いがどうだこうだと言うようなことで、いやお前の方はグリーンを使いすぎてるとか、お前の方はピンクを使いすぎてるという。しかしその論争であってですね、絵に描いた餅であることは変わらないわけですから。だからそれは今までの自公連立政権の継続を認めるのか認めないのかという、突き詰めた論戦が行なわれることを、やっぱりメディアを中心として回避し始めたなと。こういう風に思うんですね。これ非常にうまいですね、ある種のメディア操作が行なわれていると思います。
 それからもう一つ僕は、まあ佐藤さんや鈴木宗男さんの問題とも関係してくるわけですけども、小泉政権を支えたのは一体何だったんだろうか。官僚的にですね。
 つまり、ポピュリズムが一方で支える柱があったんだけども、実は小泉政権を支えたのは、司法・警察官僚。これであったことは間違いないわけですね。
 で、つい最近、これも解散した後ですよ、解散した後に、官邸の人事が少し変わってるわけですよね。
 
 佐藤 はい。
 
 宮崎 それで漆間という、非常にあの、優秀じゃない人がいるわけですけれども、この漆間という人物一人じゃ心許ないと思ったんでしょうか、今度は西川という人物をですね、官邸に入れてるんですね。警察官僚ですねこれも。これも解散後に行なわれているということがあるわけですね。これは、そういうことを申し上げるのは、つまり小泉政権というのは、一方ではポピュリズムによる追い風を受けながら、その実態の骨組みを支えていたのは、やはり検察、警察権力であったという風に総括できるんじゃないかなと僕は思うんですね。その中で佐藤さんの事件、鈴木宗男さんの事件はあったんだと。で村岡さんも出てくれば、村上正邦さんも出てくる。こういうことでしょうね。これに至る経過というのはですね、実は平野さんが国会で質問されてると思うんです。
 
 佐藤 平野さん。教えてください。
 
 平野 ハイッ! わかりました。今日は被告席のつもりで(笑)。
 えー、小泉さんが森総理の後の自民党総裁選挙では、小泉さんも勝つつもりがなかったようでございます。それで田中真紀子さんという方がですね、応援することによって、典型的ポピュリズムの総裁選挙になったわけでございますが、で勝ったわけでございます。その時にですね、実は当時の民主党、私たちは自由党だったんですけども、民主党の幹部の方達は、小泉さんが負けた時には、自民党を出て一緒に連立、あるいは仲間でやるというようなシナリオのできてたことなんです。それでその、小泉政権がなぜできたかということは、ポピュリズムという、日本の文明度と合わせて見ると非常に面白いんですが、日本人は大体、60年から80年ぐらいの周期でですね、病的にポピュリズムになるんですよ。
 あの年から70を引くと、大東亜戦争ですよ。90%、戦争に行こう、というわけですよ。それから6、70年引くと、「いいじゃないかいいじゃないか」と。幕末なんですよね。私ずーっと年表調べましたらね、大体1500年ぐらいから、そういう現象があるんですね。だから日本人のポピュリズムってのは、世界的ポピュリズムと別の視点で見る。ちょうど小泉さんがなった時期がそういう時期。
 
 佐藤 ちょうど、評論家の柄谷行人さんといって、この人はマサチューセッツ工科大学から本も出していて、国際的にも凄い評価されてるんですが、この人が、今の平野さんと全く同じ事を言ってます。
 60年周期というところで、文明というのは循環が起きるんだと。60年、もしくは120年だと。ですから平野さんの話っていうのは、思いつきの話とか、経験則の話じゃなくて、きちんとした一級の学者さんもですね、この説っていうのは今、強く言ってます。あるいはコンドラチェフの波とか。あれもそれと非常に関係してます。
 
 平野 私それを国会で言って、非常に怒られたんですけどね。「日本人は60年に一回バカになる」って言って。
 実は小泉さんがですね、総理になったときに、構造改革っていう言葉知らないんですよ。彼は半年前の選挙でですね、横須賀でですね、郵政のお金を、外国に解放するっていうことしか、構造改革だと思ってない。で総裁になってから竹中さんが、臨時教育をやったんですね。そのころですね、やはりアメリカという国は大した国ですからね、どうコントロールするかということについて、それはいろんな方法を使うわけなんですが、なぜロンドンに卒業もせずに、慌てて留学に行ったかということについて、恐らくイギリスの情報部と色々、取ったんでしょうね。
 実は私はそんなこと調べたわけじゃないんですが、当時ロンドンにいた人で、藤原肇さんという人に会ったんですよ。大変な学者でもあり、大変国際的に活躍してる人で「さらば、暴政」という本を今出している方ですが、この方にゆうべ聞いた話なんですけどね、逃げてきたんだと。ある事件を東京で起こして。ですから慶応大学の卒業の年月日も、ちょっとおかしな風になってるんですね。
 
 佐藤 ははあ。昔、学生運動やってた人たちは、年月日が少し違ったりしましたけどね。
 
 平野 別の「運動」やったみたいですねえ、小泉さんは。
 
 佐藤 「ゆっさゆっさ」という感じの運動ですか。
 
 平野 …のよう、ですねえ。そういうことはわかりません。
 それで結局、それを使ってアメリカ側の金融資本の、金融構造改革を、バーッとやらされたんでしょうねえ。任期中。
 そしてその、肝心なことなんですが、実は私は法務省、検察庁と、役人の頃からもう本当に癒着してましてねえ、国会議員が逮捕される時には、私が窓口だったんだ特捜の。
 
 佐藤 はい。あれって、場所決められるんですよね。どこのホテルで会うとかね。
 
 平野 はい。それでわたくしあの、事務局辞めて国会議員になるときにはですね、送別会開いて餞別までくれて。恐らく調活費じゃなかったかと思うんですが。
 
 佐藤 「調活費」ってのは、いわゆる「裏金疑惑」みたいな、あのお金ですね。
 
 平野 実は私、法務委員を12年の任期のうち11年やってまして、それである時期にですね、高知で検察の調活費の不正の問題が起こるんです。それで高松の高検庁の人事をですね、これ福岡の高検庁に移動するのを、国会もマスコミも、それから内閣も止めたんです。えーこれはですね、閣議人事ですから、高検庁の人事は。で検察の人事ってのは、検察の独立性ということで、そういう国会とか行政、政府が関わらんという原則がありましてですね、困ったわけです。で当時の検事総長は、固有名詞は言いませんがMさん、大変仲のいい方でですね、私はよく知ってる男だったんですが、彼が当時の後藤田さんにお願いに行って、小泉さんを説得したんです。それで検察の人事の独立っていうのが守られたわけですが、ところがねえ、診断の必要な、あの総理大臣はですね、今度はそれを利用してきたわけですね。逆に指揮権を発動しようとした。というのでまず、その前後にかけて、鈴木宗男先生がターゲットになり、佐藤さんがターゲットになり。そして日歯連事件ですね。あの経世会の。それで全然関係のない村岡さんがああいうことになり、それから村上正邦さんの問題もありましたね。この辺は魚住さんが専門だと思いますがね、まあ結局、警察・検察を恣意的にですね、政府権力が使い出したという。これはもの凄く日本の民主主義を崩壊する元になったと思っとります。それ以降はもう、説明の要はないと思いますが。
 だからこれ、小泉さんの問題というのは、凄く大きいです。私が本当に言いたいのはですね、ずーっと武部さん幹事長やってましたですね。長期政権の時の幹事長はですね、大体、立派な人が出ないんですよ。あの中曽根政権の金丸さんね。
 
 佐藤 はい。
 
 平野 これトリックスターと言いましてですね、権力を動かしていく時には、ボケ役がいるんですよ。見事にそういう意味では、小泉政治をトリックスターとして支えましたねえ。これはいいことじゃないと思いますけどねえ、そういうマイナスの功績があると思いますねえ。
 
 佐藤 「トリックスター」って今、片仮名で英語を使いましたけども、私も田中真紀子さんのことをトリックスターと書いて、そのあとでカッコで(騒動師)って入れたんですね。これは文化人類学の概念で、人と違ったことを色々やって、異常とは言わないけれど、常軌を逸した行動を取ることによって、みんなびっくりして新しい発想が出てきたりして、文化をつくる人。こういう概念です。
 ところがトリックスターって、辞書で引くとですね、「詐欺師」って出てくるんです。しかしこれ、詐欺師っていう形で書くと、訴えられるといけないから、カッコの中に(騒動師)って入れたんです。日本語の辞書の中にはないから、あっちのものを入れた。平野先生もやはりうまく、トリックスターという感じで使うんですが、英語で普通に聞くと詐欺師のことです。
 
 宮崎 だから平野さんの国会質問がありましたよね。後藤田さんが絡む。それについては相当言われたんじゃなかった?
 
 平野 実はその情報を持ってきた人が、この宮崎学先生でございましてね。で私もその、そのことで追求するつもりはないんですけども、そういう情報が、これは検察行政にとっても、それから健全なその、何かやり方にとって不健全だということで、これは由々しき問題だぞと思いましたがですね、委員会を終わったら、偉い人が吹っ飛んできましてね、「絶対にそれは言わないでくれ」。だから私は、これは事実だと思ったんですけどね。
 それで、もうしどろもどろでしたね。そのころの法務省の姿勢は。ですからその、権力の自省と言いますか、反省心と言いますか、検察も含めて警察も含めて、こんなことをやる人たちを、日本の司法試験というのは、司法制度というのは、育ててないと。もうこれは大変な国家になったという危惧を持って、あれは、盗聴法はもう終わってましたね? それから宮崎門下の薫陶を受けるようになったわけでございます。
 
 佐藤 わかりました。ロシアの官僚達に、こういうことを教えられたんですよ。「官僚の法則は2条だけだ」と。第1条、官僚は正しい。第2条、官僚が間違えた場合は、第1条に準ずる、と。「これを覚えておけば、君たちも絶対に失敗しないよ」とソ連共産党の中央委員会の官僚に言われましたね。
 ところで香山さん、いまこういった話のところで、この権力のゲームであるとか、この小泉さんとか、検察とか、もの凄くマッチョな感じで。
 
 香山 そうですよね。
 
 佐藤 その男達のところで、権力があって、本人達にとってはおもしろいかも知れませんけども、なんかあんまり世のため人のためにはならないような気がするんですけども。この現象をどう見たらいいと思いますか。
 
 香山 まず最終的に、あるいはその人たちは何なんだろうと思いながらね、聞いてたんですけども、だけどまさにその今、佐藤さん言ったように、ゲームなわけですよね。それでだから、昨日たまたま札幌でね、こういう同じようなものをやったときに、北海道大学の政治学者の山口二郎さんが、まあ早い話、昔の政治家は、一言で言えば大人だったと言うんですね。今のいわゆる小泉チルドレンと言われる、まあチルドレンじゃないけども、今の政治家達が非常に幼稚化して、未熟な印象を受けるという話が出て、それは一体何なんだろうと聞かれたんですけども、私もうまく答えることができなかったんですけども、まあそのね、志があるとかないとか、そういった抽象的な話はさておいて、なんかいま話を聞いてたら、やっぱりその何か、権力闘争とか言う時でも、取りあえずはね、それがまあ国益というか、人のためとか国民のためとか、そういうものが一応あるか、あるいは今言ったようなゲームに終始して、これはゲームなんだから、取りあえず始まってしまったからには上を目指すとか、すべてを手に入れるとか、なんかそういったこう、何のためにやってるのかということよりも、ゲームなんだから勝たなきゃ、というようなね、そこにこう終始してしまっていることが、逆に端から見るととてもね、本当、男の子たちが陣取りゲームをしてたりとか、あるいはああいうテレビゲームとかでね、戦国時代みたいなゲームで、国盗りゲームみたいなので旗を立てていって、それでどうなるわけじゃないけど、沢山旗を立てたいとか。そういった非常に空疎なものになってしまっている感じがしますね。
 
 佐藤 「男と男の愛のドラマ」みたいな感じしません? 要するに、小泉純一郎さんという人がいると。こんなに素晴らしい男はいないと言って、僕の方向いてちょうだい、と言って「僕、宇宙で一番頭がいいの」と言って、竹中平蔵さんが行って、それで、武部さんが出てきてですね、「僕、宇宙一のイエスマンなの」と。「こっちを向いて」と。それをいろんな人が周辺で見てるんですね。小泉さんの寵愛を取りたい。しかし小泉さんは、僕(自分)自身のことしか考えてない。
 
 香山 ツンデレ、っていうやつですね。
 
 佐藤 そして最後は「親馬鹿を許してくれ」と言って、息子に譲ると。
 
 香山 そういった男の人たちの愛のゲームみたいなものを、本当だったら男か女だって同じだけど、女性が見てて滑稽さに気づいてね、まあつっこみを入れるとか、鼻で笑うとかさ、あるいは指摘するというような機能が働いてもよさそうだったけど、そういう機能すら働かなかったのがここ数年だった、小泉時代だったわけですよね。
 
 佐藤 だからそれ、どう分析するかということですね。例えば私いま思い出したんですけどね、変な取り調べ受けたことあるんですよ。鈴木宗男さんと、ホモじゃないかっていう。
 
 (その2に続く)




Posted by 北方ジャーナル at 21:12│Comments(0)
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北見「小泉、武部時代の終焉」メモ(その1)
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