› 月刊誌「北方ジャーナル」公式ブログ › 第4回『仲間』
2009年07月24日
第4回『仲間』
エッセイ
夏井功(身体障害1種1級)の『夜を駈ける車イス』
※この記事は北方ジャーナル2007年8月号に掲載されたものです。
前回記事はコチラ。夏井氏のインタビュー記事はコチラ。
◆夜遊びのきっかけ◆
先日、旭川在住の友人とススキノで飲んだ。
大手新聞社で記者として働くT氏とは、十年ほど前に福祉関連の集会で知り合った。同年代でオンナ好きという共通点があったせいか、親しくなるのにさほど時間は要さなかった。
ちょうどそのころ私が生活の場をススキノへと移し、彼の勤め先から徒歩で私の自宅に来られるようになると、毎日のように我が家を訪れるようになった。もともと夜遊び好きの彼にとっては、ススキノでの休憩所として我が家がうってつけだったのだろう。足しげく現われ、情報誌などを物色しては出掛けていくようになった。そうなると私も黙っていられない、そのころはススキノをほとんど知らなかったとはいえ、私も根っから遊び好きである。どちらからともなく「どこかいくべ~」となり、やがてふたりでさまざまな店を廻るようになった。
彼とは多くのニュークラやキャバクラ、風俗店などを回った。私がいろいろな店で入店拒否や不快な対応を受けながらも躊躇することなくススキノで遊んでこられたのは、ふたりでそれらを笑いのネタにしてこられたからだ。もしこの時彼との関わりがなかったら、間違いなく私は繁華街ススキノをほとんど満喫することはなかっただろう。ススキノで遊び、そこで得たさまざまな体験を本誌のような媒体で表現できるようになったのも、全ては彼のサポートがあったからである。
このように書くと、まるで彼が「善人」のように思えるかもしれないが、決してそうではない。
これは以前彼が話していたことだが、私と一緒にススキノに出ると、それまで彼が当たり前に遊んでいたススキノの違う面が見えてくるらしい。例えばホステスや店員の接し方一つにしても、彼一人の時と私が一緒の時とはまるで違うし、普段歩いているとしつこく言い寄ってくる客引きなども、車イスに乗った私がそばにいるだけで一切寄ってこなくなる。私の経験からも言えることだが、その場に車イスの人間がいるのといないのとでは、ひとの対応の仕方がガラッと変わる。彼にとってはその違いが面白いらしい。もしこれが「夏井のために」と思いながら関わっていたとしたら到底こうはならなかったろう。彼自身そのことを楽しみ、それをネタにまた酒を飲む。彼にとっては、ほかでは味わえないススキノでの楽しみなのだろう。
◆まだまだいた変わり者◆
私のススキノライフを語る上で欠かせない仲間がもう一人いる。それは、他ならぬ本誌で私のコラムを担当しているO氏である。
今から五年前、ある障害者団体が札幌で世界大会を開催した。世界各国から数千人の関係者が集まるということで、地元のマスコミもそれまでは考えられなかったほどさまざまな「障害者ネタ」を取り上げていた。大手ではないが、T氏同様マスコミで記者をしていた彼もその一人だった。
彼がどんなテーマでどのような形で取材活動を行なったのか私は知らないが、その過程で「ススキノに変な障害者が住んでいる」ということを聞きつけたらしい。私のススキノライフを取材したいと連絡してきた。
彼が初めて私に電話をしてきた時のことを、はっきりと覚えている。私が電話に出るなり「電動車イスでススキノに住んでいて夜な夜な遊び歩いている夏井さんですか?」と矢継ぎ早に訊かれ、あっけにとられている間に取材を受けることになってしまった。その頃はまだ、自分たちがススキノで遊んで楽しいというだけだったので、取材などというたいそうなことを受けるのに戸惑ったことを覚えている。
やがてそれが記事となり、それがウケたからかどうかは定かではないが、その後一年ほど私の日常をネタにコラムを書かせてもらった。
仕事柄ということもあるのだろうが、彼は常にカメラを手放さず持ち歩いており、何かにつけてシャッターを切っている。おそらく彼の手元には、私の写真が少なく見積もっても数千枚はあるだろう。正直なところ私は写真を撮られるのがあまり好きではないし、歳をとってからそんな写真が大量に出てきても赤面モノなので処分して欲しいものだが、彼にとっては貴重なコレクションなのか、会うたびに百枚単位で増えている。
自費で自分や家族の写真集を出版するのがブームになっているらしい。いつか「夏井功inススキノ」などというタイトルで出版してみても面白いかもしれない。間違いなく誰も買わないだろうが…。
◆人と人とをつなぐ街ススキノ◆
ほかにも、店で知り合った元ホステスや露天商の女性、いつも道案内兼ボディガードをかって出てくれる客引きなど、ススキノを通して多くの個性的な人たちと関わることができた。これらの人たちは、貴重な仲間として今日の私には欠かせない存在となっている。
ススキノは酒と性、金と欲で成り立っている街である。どんな客でも金さえ積めば大抵のことがまかり通る、とてつもなく恐ろしい街である。しかし同時に多くの人と人とをつなぐ場としての役割も大きい。私にとってはまさに人生を充実させられる貴重な場である。
冒頭のT氏だが、このたび三年数カ月の旭川勤務を終え、今月からススキノに復帰した。お互いもう若くない、勢いだけではないススキノの楽しみ方をじっくり探してみるというのも面白いだろう。まぁゆっくりやろう。
さて、今夜はどこにする?
(つづく)
<Profile>
夏井 功(なつい・いさお)
1968年、東京都千代田区生まれ。脳性麻痺で身体障害1種1級。高等養護学校を卒業後、施設生活、親元での生活を経て、20歳代半ばから一人暮らし。30歳代前半の3年間を札幌・ススキノ地区で過ごし、同地区内のバリアフリー化に尽力。結婚を機に豊平区に移転するも、のち再び独身となり、現在もたびたび電動車イスでススキノに出没している。1女の父
※この記事は北方ジャーナル2007年8月号に掲載されたものです。
Posted by 北方ジャーナル at 11:27│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。