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2009年07月22日
衆院解散。選択の夏の行方は──
予定通り麻生太郎首相は7月21日火曜日に衆院解散を行なった。ちなみに読売新聞は、同日夕方に首相が開いた記者会見について、次のように伝えた。
麻生首相は21日午後6時から、首相官邸で記者会見し、今回の衆院選について「安心社会実現選挙」と命名した。
その上で、国民との約束として、〈1〉日本経済の回復〈2〉幼児教育の無償化や、雇用政策の強化など安心社会の実現──を掲げ、「約束を実現できなければ責任を取る」との決意を強調した。
勝敗ラインについては「公認候補の全員当選を目指すのは当然だ。勝敗ラインを私の口から言うのは慎むべきだ」と明言を避けた。(2009年7月21日21時30分 読売新聞)
この通りの事実だとして、私が違和感を感じたのが、政権与党のトップが勝敗ラインについて明言を避けたところだ。つくづく思う。「やはり麻生はボンボンなのだ」と。
選挙は政治的闘争であり、戦い以外の何物でもない。いやしくも政権の座にある将が、勝敗ラインを口にしない──。この姿は、議員や有権者にどう映るだろうか。事実上、議席を息子に譲って引退を決め込んだ小泉純一郎元首相は、解散当日の21日に地方講演に呼ばれ「今の政治闘争は甘っちょろい」などと言いたい放題だったと伝えられているが、ある意味私は「その通り」だと思う。
小泉純一郎という宰相は、本人と取り巻きが仕出かした功罪はともかく、政治力学の駆使という点では近年稀にみる傑物と言っていい。前回の「郵政選挙」を思い出してほしい。彼が世論をバックにいかに冷血に刺客を送り込んだかを。その結果、党を割ったヒトがどれだけ出たかを──。
政治はとどのつまり、勝つか負けるか、生きるか死ぬかである。そこに身を丸ごと投じているのが政治家という存在だ。決戦に臨んで、なお勝敗ライン」を言及しない姿勢は、有権者や味方にとって敵前逃亡にもとられかねないということを、麻生はなぜ想像できないのだろうか。
いずれにしろゴングは鳴った。選択の夏が走り始めている──。 (く)
Posted by 北方ジャーナル at 01:40│Comments(0)
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