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月刊誌「北方ジャーナル」公式ブログ › 障害者の目に映る夜の街“すすきの”とは?

2009年06月01日

障害者の目に映る夜の街“すすきの”とは?



エッセイ
夏井功(身体障害1種1級)の『夜を駈ける車イス』
本誌・北方ジャーナルでは、シリーズ特集『ススキノは変われるか?』でほぼ毎月、札幌の繁華街ススキノをさまざまな角度から斬ったり斬らなかったりして、“多面体”としてのススキノの魅力を伝えたり伝えなかったりしているところですが、その特集とともに連載しているコラムが身体障害1種1級の夏井功氏が綴る『夜を駈ける車イス』。

陽のあたる場所で「障害者に権利を!」と主張するのではなく、ネオンの歓楽街で「おれたちも遊ばせろ!」と叫ぶ。痛快かつ健全な姿勢で綴られる彼のコラムは刺激に満ちております。当ブログで近頃アップしはじめた本誌連載コラム『懐かしのRock』同様、夏井氏のコラムもただバックナンバーに埋めておくのはもったいない。ということで、これから不定期ではありますが、「ススキノ外伝 夏井功の『夜を駈ける車イス』」も当ブログでアップしていきます。

まずは彼の経歴を紹介する代わりに、1年半前の『北方ジャーナル2008年2月号』に掲載したロングインタビューを3回に分けてアップしていきましょう。



“ススキノの達人”ほろ酔いインタビュー
夏井功さん【身体障害1種1級】

「障害者の需要を『可哀想』ではなく、ビジネスチャンスにする街へ」


「街を斬る」をテーマにした今夜の「ほろ酔いインタビュー」には、本誌連載「夜を駈ける車イス」でお馴染みの夏井功さんをお招きした。自他ともに“遊び人”と称される夏井クン。数年前まで住処まで当地に定めていた彼も「ススキノの達人」と言って差し支えないだろう。障害者でもあるその夏井クンをつかまえて、ススキノという街のありようを存分に斬ってもらったのが今回のロングインタビュー。「車イスから見えてくる、この街の魅力と課題って何なの?」と尋ねると、その返答は意外や意外。笑いあり、涙ありの、けっこうディープなものでありました。

好評連載『夜を駈ける車イス』で健筆を振るう車イスの遊び人に、改めて“わが街”を語って貰ったらどうなるか。本号で第十回の節目を迎える筈だったコラムをいったん休載し、一度じっくりと話を聴いてみたらどうなるか。

「いやあ、話はいっぱいありますよ。ただこれ、コラムで小出しにしていこうと思ってたんだよなあ」

おお。誌面に出ていないネタがまだまだいろいろありそうな気配。ここはひとつ、「連載十回記念」ということで、とっておきのススキノ噺を現場で語っていただくことにしましょうか。

「そう言うけど、ススキノ来ると遊びに行きたくなっちゃうし」

まあ、そう言わず。今回は語り手が下戸ということで「ほろ酔いインタビュー」としては番外的な体裁になるのではないかと思いきや、いざ水を向けたら、まあ喋る喋る。これはアルコールを受けつけないのではなく、そもそも必要ないということだったんですな。

時速五キロで、たまに速度超過で(電動車イスには速度制限あり)夜の街を爆走する男・夏井功(39)のソロ劇場、バッテリーも充分に、いざ発進!

■何を隠そう、「根は出不精」 住処にした理由「住み易さ」

  ――ススキノっていう街を意識し始めたのはいつごろ? けっこう若いころから「ススキノというでっかい歓楽街がある」という認識はあったんですか。
「十代、二十代のころは全然なかったですね。本格的には、三十になってから」
  ――あ、それまでは全然遊んでない。
「高校が岩見沢だったんですよ。全寮制の高校で、在学中は寮と教室の往復。たまに札幌の実家行く時も、両親が車で迎えに来て、自宅に直行。だから、若いころはススキノどころか住んでた岩見沢の街すら知らなかったんです」
  ――そもそも、外に出ない。
「外出嫌い。今と正反対だけど」
  ――最初に足を踏み入れたのはいくつのころなんですか。
「高校出て、十八の時ですね。ま、知り合いが就職したり進学したりで、飲み会とかに声かけられて行く機会が増えて。当時はまだ電動車イスじゃなかったんで、誰かに押されてですけど。押されるままそのへんの居酒屋とか、カラオケボックスとか。そう、ちょうどボックスが出始めのころだった」
  ――受け身的に、つきあいで。
「そう。正直、行きたくなかったですね。『おれのいる世界じゃないな』と」
  ――それが大きく変化したのは…。
「やっぱり、一人暮らしを始めてからですね。最初は二十四軒(札幌市西区)に住んでたんですが、ちょっとしたきっかけがあってススキノに引っ越すことになるんですよ」
  ――ススキノで遊ぶようになって、どうせなら住んじゃえっていうような。
「いや、ススキノ選んだのは完全に利便性です。便利だから」
  ――住みやすいの?
「住みやすい。絶対死なない街。私、二十四軒に住んでた時に住宅街で死にかけたことあるんですよ。自分の住んでる町内で遭難したの。雪道に車イス埋まって動かなくなって、吹雪の中に二時間。その間、人が一人も通りかからなかった。あのまま一晩いたら死んでますよ。アパート、目と鼻の先にあるのに」
  ――自宅付近で凍死(笑)。
「ススキノは、絶対そういうことが起こらない街なんです。当時、中島公園に職場があって、帰り道に不動産屋の広告見たら、たまたまススキノの賃貸物件が出てた。一緒にいた同僚が『ここに引っ越したらいいんじゃない』って言うんで、ちょっと考えてみた。そしたら、何をとっても完璧なんですよ。道路はフラット、除雪・ロードヒーティングの整備も問題なし、交通便がいい上、徒歩でも大通や札幌駅前まで行ける。何よりも二十四時間常に誰かが歩いてて、万が一の時に人の手を借りやすい。こんな街、ススキノ以外にない」
  ――へえ。遊びに行くだけの人種にはちょっと気づかない利点ですね。住んでたのってどのへんなんですか。
「南八西四。ど真ん中でもないけど、中心からちょっと南のほう。ラブホテル街を抜けて、鴨々川の手前にオリエンタルホテルっていう大きいホテルありますよね。あそこ、フロアを賃貸してるんですよ。そこにワンルームがあったんで」
  ――実質、何年ぐらい?
「三年ですね。独身時代の三年間」
  ――そこからススキノライフがスタートするわけだ。
「もともと出不精だった筈なのに、なんか知らないけど飲みに行くようになってしまった。つまり、場所が場所なんで、人が頻繁に立ち寄るんですよ。のちに第一マネージャーになる新聞記者の男なんかが、仕事の帰りにうちで時間潰してから飲み会に行く、とか。当然、たまに『ちょっと行くべ』って誘われるようになるでしょう。そうなると、私も独身だし、別に家にずっといなきゃいけない理由なんてないから、まあ引きずられるようにしてついて行く。気づいたらどっぷり、っていう感じですね」

(つづく)

※この記事は『北方ジャーナル2008年2月号』に掲載されたものです。



Posted by 北方ジャーナル at 21:43│Comments(0)
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 昭和47年(1972年)創刊。生活者の視点と取材を重視する編集方針を創刊以来のポリシーとし、05年11月からは有限会社Re Studio(リ・スタジオ)が発行。道内有名書店などで毎月15日前後に発売。購読の申し込みや問い合わせ、情報提供などはサイドバーにある「編集部へメッセージ」からどうぞ。
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