さぽろぐ

  新聞・ニュース  |  札幌市東区

ログインヘルプ


 › 月刊誌「北方ジャーナル」公式ブログ › 竹鶴翁の恋とウイスキー

2009年05月17日

竹鶴翁の恋とウイスキー

竹鶴翁の恋とウイスキー
ニッカの第1号ウイスキー

 酒の世界の奥深さや味わい深さについて語れるほど、知識や経験もない。最近の話題ではないが飲み方ひとつで身を滅ぼすことにもなりかねない、この飲み物だが、近年ススキノを取材対象としてからいっそう旨いと感じることが多くなってきた。普段は就寝前あたりに手頃な価格の焼酎やウイスキーなどを、極めてテキトーなやり方で飲んでいるのだが、それでもしっかり旨い。つきあいでススキノのバーに顔を出し、マスターが出してくれるオススメあたりを口にするとびっくりするほど旨い。

 そんな折りにニッカウヰスキー発祥の地と言われる余市蒸留所を訪ねる機会があった。

竹鶴翁の恋とウイスキー
石炭の直火焚きによるポットスチル(蒸溜棟)

 ウイスキーが出来るまでをつぶさに見学でき、試飲や購入もできるここ余市蒸留所は、後志地方の観光スポットとしてもつとに有名だ。その詳細は省くが、なかなかに楽しめる。1934年(昭和9年)創設。貯蔵庫に眠るモルト原酒の熟成を待ち、同社が第1号ウイスキーとして世にボトルを送り出すことができたのは、1940年(昭和15年)のことだったという。

 そんな話を編集部で酒好きの記者とやりとりしていたら「そんなトリビア合戦してどうすんの」と別の酒好き記者からツッコミを入れられた。それはともかく、私が興味を覚えたのは施設もさることながらニッカの創設者である竹鶴政孝という人物の一生だ。

 広島県の造り酒屋の三男坊として生まれ、洋酒メーカーに入社。単身で技術研修のため渡英し、ウイスキー造りを徹底的に学んだという政孝は現地でジェシー・ロベルタ・カウン(愛称リタ)という女性と周囲の反対を押し切って結婚。翌年、リタ夫人を伴って帰国を果たす。

 ここからがまた面白い。政孝はいきなりニッカを立ち上げたわけではなく、現在のサントリー(当時は寿屋)の創設者である鳥井信治郎に声をかけられ、同社が「日本人がつくった本格ウイスキー」を世に送り出すことになった経緯がある。政孝にしてみれば貴重な経験になっただろうし、寿屋にしてみれば「日本初」の称号を未来永劫手にしたことになる。運命の妙味というものはこういうことを指すのだろうか。

 その後、余市で独立した政孝だったが、その事業を大きく手助けしたのが現在のアサヒビール(当時は朝日麦酒)の山本為三郎だったというから、現在の同社との縁もなんとなく納得できる(当時は、すごいひとたちもいたものである)。

竹鶴翁の恋とウイスキー
余市で眠るモルト原酒

 そんな物語をアテにしてグラスを傾けるのは結構楽しい。特に、長い年月の熟成を必要とする本格ウイスキーは、歴史ものがよく似合う。政孝のスコットランドでの恋はどんな風だったのか。余市蒸留所には竹鶴夫妻の住居が移築・保存されているが、ここでの2人の暮らしはどんなものだったのか──。

 ちなみに子供の頃は、酔っぱらいが大嫌いだった。イタズラで口に含んでみても何でこんなものを好んで大人が飲むのかさっぱり分からなかった。

 苦笑しながら自戒も含め思う。──人は変わるものである。  (く)




Posted by 北方ジャーナル at 18:25│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

QRコード
QRCODE
削除
竹鶴翁の恋とウイスキー
    コメント(0)