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2009年02月02日

三月末までに医師全員が退職する穂別診療所

三月末までに医師全員が退職する穂別診療所
穂別診療所を退職した一木崇宏氏

このままでは破綻することは目に見えていた。
決断しなければならないとはずっと分かっていた。
そして、決断を下した。
マチの医療は将来も守れるのか――。
確固たる自信は持てない。しかし、穂別のために心を決めた。


胆振管内むかわ町の国保穂別診療所でそれまで常勤していた3人の医師が、今年3月末までに全員退職する。同診療所の所長であった一木崇宏氏は昨年末をもってすでに退職。現在は夕張市の医療法人財団「夕張希望の杜」に在籍し、週に一度、穂別で外来を担当している。新年度の医師確保は2月2日現在も明確には見通しが立っていない。

渦中の一木医師に退職の真意と同診療所の今後の見通しを訊いた。その模様は2月14日に発売する本誌『北方ジャーナル3月号』、シリーズ企画の「こわれゆく日本医療」に掲載する予定である。日刊紙などによると、彼らの退職の理由は、住民らのコンビニ受診による時間外診療の増加と、それに伴う医師たちの過労であった。しかし、本人にじっくり話を聴くとそうでもないらしい。

「医療者の都合も考えず夜中に受診する住民。眠ることも許されず疲弊する医師たち――。たしかにそのような面もありますが、そんな単純な構造ではない。単純ではないですよ」

一木医師は東京の生まれだが、母親が道内出身ということもあって幼少時代から年に一度は必ず北海道に来ていたそうだ。そして、東京育ちの一木少年には田舎の山々は限りなく魅力的に見えたらしい。少年は将来の田舎暮らしを夢見て、札幌医科大学に入学し、まずは小児科に入局する。眼科、耳鼻科などとは違って、小児科では比較的、身体全体を診ることができるというのが志望理由だった。田舎の町医者にいつかはなりたいと考えていた一木青年は浜松市の病院で救急やホスピスを含めて総合的な医療を学び、今で言うところの総合医、家庭医を本格的に目指す。浜松で勉学の2年間を過ごし、穂別診療所の前身である穂別町立病院に赴任したのは平成10年。以来、家族とともに穂別で過ごし、憧れの田舎暮らしには微塵の後悔もない。彼の穂別への思いには、喜び、仕事へのやりがい、換えることのできない経験だけが残っている。その一木医師が退職を決意したのだ。

「若い時こそ僻地、地方の診療所で医療を経験してほしい。絶対、損にはなりません。何でも診なくてはいけないということだけではなく、すごく勉強になるんです。家族がいて、小さなお子さんがいる医師なら尚更です。私はこの穂別で自分の子供と語らい、一緒に遊ぶ時間をたくさんもらいました。ここで子供を育てることができて、本当に良かった」

一木医師はインタビューで再三再四、地方勤務の魅力を語った。若い医師たちへのメッセージも含め記事では一木医師の真意を伝えたいと思う。
(は)




Posted by 北方ジャーナル at 23:31│Comments(0)
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