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2008年09月28日

自民7区セミナーに「子ムネオ」貴子氏登場で武部氏「反省」

自民7区セミナーに「子ムネオ」貴子氏登場で武部氏「反省」
鈴木貴子氏

 自民党7区支部の政経セミナーが9月28日、釧路市内のホテルで行なわれた。会場にはゲストの古賀誠自民選対委員長をはじめ、同区の暫定支部長である武部勤元幹事長、そして次期衆院選に同区から出馬予定の伊東良孝釧路市長、そして自民党系の道議、周辺町村長や議長、議員などが姿を見せたが、そこに新党大地代表の鈴木宗男衆議の代理として、娘の貴子氏が登場した。
 
 武部氏挨拶、来賓紹介、伊東市長に続いて挨拶に立った貴子氏は、
 
「留学先のカナダから3日前に戻ってきたばかり。武部先生のお話にもあったが、古賀誠先生から父の方に直々に、8月18日にお電話がありまして、この政経セミナーのお話をいただきました。みなさんもよくご存じのこととは思いますが、あの短い足で、この広い北海道を常によく走っている父なものですから、正式なご案内をいただいたのが9月に入ってからのことでしたので、父の方の日程の調整が付かずに、役不足ではありますが、私がこうして代理の挨拶をさせていただいております」
 
 と、古賀氏の電話からさらに遅れて案内状が送られたことを明らかにし、古賀氏と鈴木氏との家族ぐるみの付き合いを紹介して、「今日も父から4回ほど電話がありまして、貴(子)、古賀先生にはしっかりとこのことにお礼を言っておくように、と何度も何度も言われましたので、この場を借りて古賀先生にお礼の挨拶をさせていただきます」と、「古賀先生に」感謝の言葉を述べた。
 
 さらに貴子氏は、鈴木氏からの「伝言」として、
 
「これからの新党大地、鈴木宗男の選挙に向けてのスタンス、立ち位置について父は『衆議院が解散してから、鈴木宗男の口からみなさんに明確にお話をさせていただきたい』と言っておりました」

 と語り、それに続けて貴子氏は「地方切り捨て、弱肉強食の社会で、このような問題にはっきりと声を大にしてノーを言えるような政治家を出すことが大事。今の北海道に必要なのは、政治の開拓です。北海道の思い、みなさんの声、夢、そして叫びにも似たみなさんの思いというものを、誰よりも早く、誰よりもしっかりと中央に届けていくことの出来る政治家を輩出していく。これが今の私たちに必要なことであり、またこの北海道に対しての恩返し、そして開拓につながっていくのではないか。この選挙も時間との戦いになってきたと思うが、新党大地鈴木宗男、この時間との戦いの中でも、この北海道に最善の結果をもたらすべく、最善のパートナーと力を組み、手を合わせ、最後の最後まで戦っていきたい」
 
 と語ったが、その「最善のパートナー」が誰なのか、については言及しなかった。ちなみに挨拶では武部氏、伊東氏に関しては一言も触れていなかった。

 7区の伊東市長擁立に関して、鈴木氏は9月22日にこのようなコメントを残している。


 
自民7区セミナーに「子ムネオ」貴子氏登場で武部氏「反省」
「反省してます」。

 挨拶に立った、北海道12区選出の武部氏は、冒頭から「本日は鈴木宗男先生の代理として、お嬢さんの貴子さんがご出席下さいました。みなさん、鈴木貴子さんに盛大な拍手をお願いします」と会場に謎のアピール。そして、
 
「昨年11月ぐらいから7区の単位支部に選考委員会を設けたが、そこで誰がふさわしいかの条件として、(1)落下傘でないこと(2)大票田である釧路市で知名度があること(3)即戦力であること、の3点で候補選びをした結果、支部内から『伊東氏が最もふさわしい』という声で一致したが、市政を預かっている伊東市長だから、そう簡単にイエスとは言えないので、打診はしたが正式要請はしていないという状態が続いていたが、福田総理の突然の辞任によって、総選挙に向けた展開をはかる必要が出てきた」と経緯を説明した。

 武部氏は「もう少し時間があれば、私も自民党幹事長を経験したので、友党の公明党さん、またこの釧根地域で非常に大きな影響力を持っている新党大地の鈴木先生にもですね、しっかり協力をお願いするという手続きを踏まなければいけなかったと思っている。反省してます。こういった諸般の根回しと言うんでしょうか、そういう環境づくりについては、もっともっと支部長として丁寧に進めなければならなかったなあとこう思っておりますけれども、ご承知のような急展開の状況の中で、限られた努力しかし得なかったということも、ご理解いただきたいと思うのでございます」と、平身低頭といった様子。
 
 そして武部氏は「今日は私の第7選挙区支部長としての最後のお勤めだと思いますけれども、しかし伊東市長が自民党公認として出馬いただいて、みなさん方が一致協力して当選を期して、目的を達成するまでは、私自身も微力ではありますけれども、しかも私自身も選挙大変です。ご案内の通りです。でありますが、伊東良孝さんが、この釧根の代表としてしっかり胸にバッジをつけるまでは、しっかり私の責任はまだ残っていると思っている」
 
 さらに武部氏は「古賀氏より『鈴木先生にもご案内を出した方がいいんじゃないか』というお話を賜りまして、鈴木先生にもご出席方お願い申し上げたのでございますけれども、私どもの不手際で、忙しい鈴木先生の日程が既に決まってしまってからご案内を差し上げるということになってしまいました。このことはお詫びしなければなりません」と謝罪。挨拶の最後にも「古賀委員長ありがとうございました、鈴木貴子さんありがとうございました」と、さらにさらにさらに頭を下げまくっていた。

自民7区セミナーに「子ムネオ」貴子氏登場で武部氏「反省」
 
 伊東市長は「武部先生に強引に口説かれたという話が一部に流れておりますけれども、決してそういうことではありません。武部先生は、自分が宗谷・オホーツク、そしてこの3年間、釧根で一生懸命やってきた。だけど(武部氏は)『俺だって、どうなるかわかんないんだぞ。いつまで国会議員やってるかわかんないんだぞ』と。『伊東君、今ここで釧根が候補者を立てることが出来なかったら、恐らくこの地域の政治力も崩壊し、そしてもう、国会に送り出すことも出来なくなるぞ。その時君たちは、国会に誰を頼って、どのつてで陳情するんだ』というお話をされた。
 市民のみなさんの中には、福田総理、安倍総理のように、市政を投げ出すのかと言われる方もあるが、しかし私は総理の重責を投げ出し、責任を放棄した二人とは全然違う。私は釧路市民の思いを背負って、国政でみなさんの声を届けたい、そして変えることが出来るものならば変えたいと思って出馬を決意した」
 
「6年間、無所属として自民党を離れて、自民党の良くない面も山ほど見てきた。どうしてこんなことを言うんだろう、どうしてこんな馬鹿な話があるんだろう、どうしてこんな制度をつくるんだろう。この法律の中に、おかしな所山ほどあるじゃないか。こんなこといっぱい、あったんです。しかしそれは我々の手の届かないところで、それが決められ、実行されるわけであります。今の私に出来ることは、その踏み台をもう一段上がらせていただいて、自分の手で変えるところは変えたいし、あるいは省庁の中でこの釧根を忘れている人がいたら、釧根を日本の宝として認識していただく努力を続けたい」と語った。
 
自民7区セミナーに「子ムネオ」貴子氏登場で武部氏「反省」

 最後に講演を行なった古賀氏は「貴子さんの挨拶を聞いていると、ムネオさんには全然似てない。顔見て聞くと、余計似てないと思う。声は奥さんそっくり。そう思いません? いやあ、本当に親子というものは似るもんだなあと思って、びっくりして聞かせてもらった」と語り、続けて、
 
「政治は厳しく、残酷なものだと思う。しかし失ってはならないものがある。なくしてはならないものがある。それは信義であり、正義であり、そして信頼だ。もっと大括りに言うなら、それは恩義と言った方がいいのかもわかりません」
 
「我が国の政治は、全部政策ポピュリズム、パフォーマンスポピュリズム。政治がポピュリズムになったら終わりなんです日本の国は」

 とも語った。これを「最初はグー」の人がどう聞いたのかは不明である。
 
 全体的な印象からすると、「自民道7区セミナー」というよりは、「鈴木貴子さんお越し頂いてありがとうございます僕たち反省してますの会」といった雰囲気だった。解散後にムネオ氏本人が明らかにするという「最善のパートナー」がどちらの勢力になるのか、今後が注目であろう。 (ご)


Posted by 北方ジャーナル at 23:03│Comments(0)
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