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2007年10月11日

「何が、“もう済んだ”のか」

「何が、“もう済んだ”のか」  先日の【編集長日記】で「ネットは更新とアクセスが命です」と書きながら「いまのところ更新の頻度は全く約束できない(笑)」などと、呑気なフレーズを書き綴ったところ、このウェブログの管理を任せているスタッフから「せめて立ち上げ時ぐらい熱心に更新しましょうヨ」と尻を叩かれた(スンマせん)。

 とってつけたように書き出すワケではないが、最近、気になっている案件のひとつが今後の政局の行方だ。記者たちの報告や関係者の話から解散・総選挙の時期を占おうとしても、諸説あり、いまひとつ確信が持てない。

“校長先生キャラ”の福田新首相が、いかに老獪で懐が深かろうと、自民党の構造疲弊は極限まで進んでいる印象が強い。ことによったら民主も含め政界全体を“ガラガラポン”しなければ、どうしようもない地平まで我々は来ているのかもしれない。

 その“自民党の構造疲弊”を端的に示したのが、安倍の政権放り出しだった。首相、国家元首による最大の背信行為というべき辞任劇。安倍が首相そして政治家の資質を著しく欠いていたことが白日の下に曝された、あの出来事を私は、本誌11月号の巻頭言で以下のように書いた。

            ◆

悪い手本

 喉元過ぎればなんとやら。昨今耳にする「安倍は可哀想だった」とか「福田は頼りになりそう」という論議に、釘を刺したい。

 同情論は政治には無用である。政治とは苛烈なパワーゲームそのものだ。明治以来、歴代の宰相は例外無くすさまじいストレスと外圧を受けてきた。その職に就く事で生死にかかわった者も少なくない。本来、ストレスをエネルギーに変えることができるくらいのタフさがないなら政治家など志すべきではないのだ。

 だが安倍は引き際を悟らず、文字通り国民と国会を裏切った。経済的な意味での損失や海外に恥をさらした点も合わせれば、その罪と責任は取り返しがつかないほど重いと言わねばならない。その後の総裁選に不毛を覚えたのは私だけではあるまい。誰を選ぼうが、参院選での惨敗に加え、新たな国家元首を選ぶに足る政党とは言えない姿を、トップみずからがさらけだしていたからだ。

 人の親として最後に言いたいのは、安倍の行為は教育的にも最悪だということだ。国のリーダーが自分の責任と仕事を勝手に放棄し、逃げ込む──。これほど悪い手本もない。自民党は、さまざまな角度から今回の影響を再度精査し、国民に正式に謝罪すべきだろう。


              ◆

 今回の巻頭言には、前段の歴史認識をめぐって記者の一部から異論も出た。確かに歴史を厳密にひもとけば、ストレスや外圧に悩まされなかった幸運な宰相もいたかもしれない。だが今回は、私はあえてそのままにしておいた。恐らく、本来的に“そういう”職業であることを強調したい気持ちが無意識に働いたのであろう。

 私も含め日本人は忘れっぽく、同情的な見方をする傾向がある。だが、今回の安倍と彼を選んだ自民党の責任については、容赦すべき余地は全く見当たらない。彼らが、しでかしたことの大きさに比して国民への謝罪も影響面の総括も全く十分ではない──と感じているのは私だけだろうか? メディアの検証も中途半端だ。どこからか流れてくる「もう済んだことだから」的な空気──。

 安倍が病院に逃げ込んだ時、政権は「首相代理」すら選ばなかった。危機管理の緩みも極まった感がある。我々は数週間にわたって国家元首の不在という環境に捨て置かれたのである。

 党派や政策を超えて、許されざること。それは国民を裏切ることである。


タグ :福田安倍


Posted by 北方ジャーナル at 23:56│Comments(1)
この記事へのコメント
謝罪の必要はない。
速やかに政界から消えればよい。
Posted by mana-mana at 2007年10月14日 00:52
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